ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

「ですから」


東京の平沢です。
かずぱるさん。「任せたら見守る」、素敵です!
そうするとことで、「できる事が増える」ってことですね。来年の息子さんの成長が目に見えるようです。楽しみですね♪

さて、今回、私は日々の言葉かけの大切さについての気づきをお話したいと思います。
昨年、携帯電話をスマホに変えました。今まで使用していた携帯電話からスマホへの変更はわからないことだらけ。
そこで、購入を決めたお店の人に、あれこれと質問していたときのことです。
対応してくれた店員さんの言葉の使い方に気持ちがざわざわしてきました。というのは、質問するたびに「それは、先ほども言いましたが」という言葉をつかうのです。

最初、この言葉を聞いたとき、なにか気持ちの悪いひっかかりを感じました。
“さっきも言われたっけ? 専門用語が多くてわかりにくくて聞き取れなかったのかな?”
とまごまごする私。
店員さんは、おそらく何千回も同じ説明をしているのでしょう。よどみなく説明します。
ところが、私はすらすらと説明されればされるほど理解できない自分にあせりを感じて「もう一度説明していただけますか?」と繰り返す始末。
すると「ですから、先ほどもご説明いたしましたが・・・」とくるのです。
自分が情けないと思いながらもだんだん相手の反応に腹がたってきました。“ですからってなに。人のこと、馬鹿にしているの?” “先ほども申し上げたっていうけど、わからないからもう一度聞いてるのよ。もっとゆっくり話すとか、ちがった表現でわかりやすく説明する工夫はないわけ?” とすっかり被害者気分に浸ってしまいました。
もちろん、わからないまま契約するのは納得できないし、被害者気分でだまりこむつもりもないのでリクエストをだしてみます。
「もっとゆっくり話していただけますか?」「やっぱりよく理解できないのですが」「てことは、つまりこういう意味ですか?」と。
その間、店員さんは「ですから」を枕詞に「先ほども話した通り」と繰り返します。おそらく悪気はなく、癖のようにその言葉を遣っているのだと感じ取れましたが、どんどんいや〜な気持ちがつのった体験となりました。

何日かたっても思い出すと腹立たしい気分になりましたが、あるときふと気がついたのです。
これって私もよく長男に遣ってる言葉じゃない? と。
長男が学んできたばかりの算数の宿題を手伝っているとき、
「さっきも言ったけど、この公式をつかうんだよ」。
「だからさあ、さっきの説明、ちゃんと聞いてた? 」
なんて、言っている自分。
そこで、『過日の自分の気持ちと置き換える』ことをしてみると、子どものココロの中でおこっているのは
“え〜、聞いてたけどわかんないんだよ。” “俺の事、ばかにしているの?” “はいはい、もういいよ”
というなんともいやな感情だということに気がつきました。
これは、まずい。これではやる気をなくすばかりか、自尊心まで傷つけてしまうじゃないの。
とどのつまりは、マイナスな感情を育てているようなものなのだとわかったのです。

そこで、即「さっきもいったけど」という言葉は封印。翻って、私がかけてほしかった言葉をかけるようにしました。
「初めてきくことだから、最初は理解しにくいよね」「ママもそういうこと、よくあるんだよね」
「この説明ではわかりにくい? じゃ図にしてみようか」「どのあたりがわかりにくい?」
などなど。
そして、できれば暖かく親身になって言葉はゆっくりとを、心がけて接しみました。
すると、長男の反応も変わってきて素直に「教えて」と言ってきたり、「憶えてもすぐわすれちゃうんだよね」という本音がきけたり、「「ママの小さい頃はどうだった?」
なんて余談になったり。
お陰で長男の反感は買わずに、目的にまっすぐにいきつける実感を得ています。
そんなわけで、最近は自分がかけられて嫌な言葉は、決して子どもにいわないよう自重している日々です。

さて、お次は新メンバー、八王子在住の海藻明代さんにバトンタッチ。海藻さんならではの華麗な走りに期待大です。
どうぞよろしくお願いします!!

東京都/平沢恭子 




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