ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

出来栄えだけにこだわらない


みなさん、こんにちは、ふくちゃんこと福田潔子です。
9月、新学期も始まりました。濱田さんのお話を読んで、学校でも家でも、信じて任せてもらえたという経験は、子どもにとってはすごく嬉しい事なのだろうな〜と思いました。

自分の子ども時代を振り返ってみると、私は「黙って」任せてもらった経験が少なかったなぁと思います。私の母は、「できてないところを出来るようにさせる」のが親の役目だと思っていたような人でした。
ですから、何かにつけ「ダメ出し」しが多かったように思います。
特に結果や出来栄えが悪かった時はさんざんでした。
なかでも、鮮明に覚えているのが小学生高学年の頃の「冷やし中華」の思い出です。

母はお料理が得意でした。「出来栄え」にもこだわる人だったので、
小学生の私からすれば「料理の花形」に見える包丁で切ったり、炒めたりという
重要な工程をやらせてもらえることはあまりありませんでした。
いつも簡単な下ごしらえか皿洗いなどの「下働き」ばかりやらされるので、
料理は私にとってあまり楽しいお手伝いではありませんでした。

どういう経緯だったかは忘れましたが、夏休みだったからでしょうか?
母と姉と私と3人分のお昼ご飯として、私が冷やし中華を作ることを任されました。
「お姉ちゃんじゃなくて、私が作っていいの?」
私は、全部の工程を任せてもらえたのが嬉しく、張り切っていました。
いつも母がキュウリをほそーく切っているのを知っていたので、
出来るだけ細くなるように頑張って切りました。
ですが、いつもの母の料理に比べれば、もちろん、出来栄えはよろしくありません。
なんて言われるかな〜とドキドキしながらテーブルに運びました。

母の第一声は、「キュウリはもっと細く切らないと!」
食べて一言「キュウリが太いと、なんかおいしくないわね」
あぁ、やっぱりそうきたか。。。
それは、あまりにも悲しい言葉でした。
そして落胆した気持ちは、怒りに変わっていきました。
嘘でもいいから、「美味しいね」とか、「よく頑張ったね」とか言えないもんだろうか?
なんでいつも母はこんなに意地悪なんだろう、もう二度と冷やし中華は作らない!
そんな気持ちになったことを覚えています。

母に悪気は全くなかったと思います。
「お嫁に行っても恥ずかしくないように」が口癖のような人でしたから、
ちゃんと教えておかなければと思ったのかもしれません。
ですが、いつもいつも、そんな風に「ダメ出し」ばかりされていたので、
子ども心に、「なんか、もっと別の言い様があるんじゃないの?」と
反発を覚えていたように思います。

自分が親になってみれば、「つい言ってしまう」気持ちはよ〜く分かります。
ダメ出しされたら嫌な子どもの気持ちもわかっているはずなのに、
実際に私も、自分の子どもに対して「ダメ出し」もいっぱいしてきました。
私も「ダメ出し」以外のやり方を知らなかったのです。

ハートフルコミュニケーションで、私は新しいやり方に出会いました。
それは、「できている、できていない」という結果だけでなく、
「やろうとしていること」「頑張った」というプロセスにも目を向けて認める、ということです。

そうだ!これだ!って思いました。
あの時、私が母に言ってもらいたかったのは、
「キュウリ、細く切ろうと思って頑張ったんだね!」という言葉、
そして、私が頑張ってやったことを解ってほしかったんだ!

それがわかった時、ダメ出しをする母を恨む気持ちもすーっと消えていきました。
不思議な感覚です。
母は意地悪な人ではなく、ダメ出し以外のやり方を知らなかっただけ。
母は母なりに、その時に出来る精いっぱいのやり方で頑張って育ててくれたんだ、と解ったら、
小さいころの私をかわいそうに思う気持ちもどっかに消えてなくなってしまいました。
そして、新しいやり方を手に入れて、私はホッとしました。
これで、子どもたちに嫌な思いをさせずに済んだと。

数十年が経った今でも、相変わらず見栄えのいい料理を出すことは苦手で、
母に変わって今は、娘たちからのダメ出しも多いのですが、
「ママの料理は、見た目は今一つだけれど、味は美味しいよね」とか
「盛り付けを頑張ろうとした跡は感じられる」など、ダメ出しの中にも
出来栄え以外の良いところや、私の頑張りにも目を向けて伝えてくれるので、
また、頑張ろうかな?と思いながら、毎日のご飯を作る今日この頃です。

さて、次は埼玉の島さんです。どんなお話を聞かせてくれるでしょうか?

千葉県/福田潔子






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