ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

手放すことで、得られるもの


徳島の濱田です。職場の大きな異動で、本当に目を回してしまう程、忙しい毎日を過ごしています。そうした中で、先週の豊田さんの「受験はこうあるべき」の言葉、ずっしり胸に響きました。

私は、本当にこの「〜あるべき」をたくさん持っているタイプです。
「中学生はこうあるべき」「部活動の指導はこうあるべき」「教員はこうあるべき」という自分のものさしで、ついつい周りを判断してしまいます。こんなときは、必ずと言っていいほど、相手のできていないところをみつけて、「なんとかしてやろう」と批判したり、指示したりしていました。(正確には、今もまだこのクセは残っていますが、なくしていこうと思っています。)
ものさしを当てられて、批判された相手は決していい気持ちはせず、意欲さえも押さえられていたかもしれません。

前回のブログで紹介した次女は、そんな私のものさしを一番いやがった娘でした。
彼女の高校受験の時には、豊田さんのように見守ることも尋ねることもできず、正確には、しようと努力はしたものの、結局ぶち切れた母になってしまい、次女は、すっかり勉強嫌いになり、学ぶ喜びを封印してしまいました。
母親の私は、「彼女を勉強嫌いにしてやろう」としたわけではないのです。結果としてそうなってしまったのです。「勉強は一生懸命するべき」「人間我慢した分だけ強くなるはず」「なのに、それができないのはあなたが甘いから」と、私のもつ枠に収まらない娘を批判し、厳しく言い聞かせることが親の役割だと、いいわけをしながら、結局は自分の理想の子ども像、子育て像を押しつけていたのです。

その彼女も、今春から社会人。振り返ると、豊田さんの言うとおり、子どもにもそれぞれにタイプがあり、親子の関係も違ってきます。
私の場合、次女との関係を考えることで、ぶつかり合うことが多い分、多くの気づきがありました。中学生だった彼女に、「どうしたい?」と尋ねる余裕が私にあれば、彼女から学ぶ楽しさを奪うことはなかったかもしれないと、反省しています。
だからこそ、なかなか決まらなかった就活にも、じっくり向き合えたのかもしれません。
「『のんちゃんの親はとやかく言わんと待ってくれるからいいなあ』と友達にうらやましがられる」と娘に言われたときは、親としてやっとハートフルコミュニケーションらしくなった自分を褒めてやりたくなりました。ほんとは、このときだって、心配で気持ちが折れそうだったのですが・・・。

「娘にどんな人間になってもらいたい?」「自立して、自分のことが好きと思える人間」
「じゃあ、そのためには、就活を通して、何を学んでもらいたい?」「苦労しても、失敗してもなんとかなるということ」
「なら、今彼女にかける言葉は?」「なんとかなる。絶対大丈夫」

・・・まるで真っ暗な闇の中を走る娘を伴走しているような自分に自問自答してたどり着いたこの言葉を送り続けました。
ここにたどり着けたのは、「就活に向かう大学生はこうあるべき」という枠を手放し、今起こっている問題(就職が決まらない)の解決より、この問題を体験して「どうなりたいか」に目を向けることができたからだと思います。
そして、「親ならこうすべき」という自分への枠組みも手放すことができた分、心は軽やかでした。
「私もなかなか捨てたものじゃない」、そんな親の軽やかさが、次女の気持ちを柔らかくしていたのかも知れません。

先日そんな次女からメールが届きました。
「いろいろあったけど、毎日通勤電車に乗って、社会人になれた幸せを感じるー本当にうれしい!ありがとう」
なんとも、うれしい春の報告でした。
次は、福田さんの春を聞かせてくださいね。

徳島県/濱田雅子 





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