ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

好きは好き、嫌いは嫌い


群馬の照子さんから、確かにバトン受けとりました!
私の場合、子ども時代は怖い母だったので、友達の優しいお母さんと比較し、友達を羨ましく思ったこともあるなぁ・・・と思い出しながら拝読しました!!

リレーブログデビューとなります、東京の加藤くりです。
よろしくお願いいたします。
独身につき子育て体験談は出ません、あしからず。

8月に母方の祖母が他界しました。104歳の大往生です。
100歳で脳梗塞から植物状態となり、そのまま4年8ヶ月意識が戻ることなく病院のベッドで過ごしました。
我が家は母が跡取り、父が婿養子なので、母方の祖母とは祖母が入院するまでずっと同じ屋根の下で暮らしていました。

気質的な不一致からでしょうか、同じ内孫でも姉は祖母と仲良くやっていたようですが、私は祖母が大嫌いでした。
正確に言うと、幼少の頃から嫌いになり、それを両親が受け入れられず矯正しようと働きかけたりしたために「嫌い」から「憎悪」に進化し、最終手段として「存在を無視」するまでに至りました。

祖母はいないものとし、一切祖母のことを考えないし見ない・聞かないようにすることで私は自分の心を守ろうとしたのだなぁと、今では理解しています。
私から一切、祖母の話が出ないので学校の友達などは「え、おばあちゃんいたの?」と驚くくらいでした。

自分の母親に対して憎悪の念をむき出しにしたり、存在を無視するような我の強い娘を、母は「根性悪い」「普通にできないの?」と批判しました。
一方、母も祖母に対しては愛憎入り混じる複雑な感情を持ち、よく衝突していました。
もしかしたら母は、自分の中の悪い感情を私の中に見出し、それが許せなかったのかもしれませんね。

私が祖母からのお年玉を「受け取り拒否」して祖母の部屋に叩き返しておいたことがありました。我の強い子どもっぷり、全開ですね。
すると祖母は、両親が買い物から帰って来るのを見計らって私からつき返された年玉の袋を手に階段に腰掛け、しょげかえり、何度もため息をついて見せたそうです。

それを受け、父が私に言いました。
「お婆ちゃんがせっかくくれたお年玉、素直に『有難う』って言って貰いなさいよ」

はぁ〜!?と、愕然としました。
「素直」って言葉の意味、おかしくない?

もちろん我の強い私は断固拒否を貫きましたが、あくまでも「自分の気持ちに素直」に行動している私が、なにゆえ父から「素直になりなさい」と言われなければならないのか?
我は強いけれど父親っ子だっただけに、あの言葉は当時の私にはショックでした。

子ども時代って、自分の気持ちを巧みに伝えることができないし、やっぱり立場は弱いですよね。
今の私なら、理路整然と(笑)祖母のどのような言動を理不尽に思い、それが繰り返されることによってストレスを感じるから回避している旨を両親にしっかり伝えることができるでしょうに。

私とハートフルコミュニケーションの出逢いは、2005年9月22日早朝のTBSラジオからでした。
『子どもの心のコーチング』の本が紹介され、著者として菅原さんが電話で出演されたのを偶然聞いていたのです。

その時、菅原さんが力強く落ち着いた声で話されたことが脳裏に焼き付いています。
「親が子どもを愛しているのは当たり前と思われているかもしれません。でも実は、子どもの方が、それこそ命がけで親を愛しているのです」といった内容でした。

衝撃的でした。そして、確かに!!と納得しました。

子どもは、愛のかたまりで生まれてくるんじゃないかな。
生まれてきた子どもは、偏見も好き嫌いもなく自分の周りの大人を全身全霊で愛していると思います。

その幼い子どもが物心ついて、誰かを嫌うようになる。
何かしら、理由がなくて嫌うわけがない。
だから、周りの大人たちには大きな心と温かい目で、ただ見守っていて欲しい。
嫌うことを認められたら、その子はそれ以上嫌う理由がなくなるって思うんです。

通夜と告別式を終え、骨壷に納まった祖母を私が運転して家に連れ帰りました。
もし、目の前にいる子どもが自分の家族について「大嫌い!」と言ったなら、私は「ニヤリ」と笑い「そうか、大嫌いなんだね」同志として受け止めることができる。
もし私が、優しいお婆ちゃんに大事にされ「お婆ちゃん子」として育っていたなら、その「嫌い」な感情を受け止めきれなかったかもしれません。

祖母が遺してくれたのは、そんな共感力かな?などと考えるこの頃です。

それではバトンを兵庫のはせなかさんにお渡しします♪

東京都/加藤久里 







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