ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

期待値を考える


植松さんからバトンを受けとりました、東京の加藤クリです。
断乳の儀、進化してるのですね!私が聞いた事のあったのは、ワサビを用いるというものでした。子育ての知恵も日々進化だな〜と、感心しました♪

さて、最近私の脳裏に「期待値」というワードが繰り返し浮かびます。
以前友人達と古民家で合宿した時、しばらく使われてなかったらしくカビ臭くてホコリの積もった室内に驚き大掃除したことがありました。
その友人達と改めて普通のホテルに泊まった時、「掃除しなくてもいいんだ!」「カビ臭くない!」と大喜びしたんです(笑)。
「期待値」が低ければ、普通のことでも「大きな幸せ」を感じることができるんですねー。

以来、自分の中の「期待値」の高低を意識するようになりました。
特に、自分がイライラしたり、ガッカリする時こそ「期待値探求」のタイミングです!!

日中、仕事していて隣の席の人が私のデスクの上にまではみ出して書類を広げたり物を置いたりすると「イラーッ」とします。
あ!私は、陣地は守るべきで、相手にも「守って欲しい」って期待してるんだな。と、気付く。
この期待値をググッと下げてみたらどうだろう?
私は今、当然の様に自分のデスクを与えてもらってる。
これがもし、時代がはるか昔だったら?
場所が、貧困の国だったら? もしくは、内戦や紛争でさ迷い歩く難民だったり、震災で居場所を失った状態ではどうか?
とたんに、様々な「与えられてる豊かさ」が当たり前じゃない、いかに有り難く贅沢なことかを思い出す。
書類がはみ出してくる隣人も、そういったことに無頓着としたら・・・私がウッカリ何かをはみ出して置いてもきっと、気にすることなくおおらかでいてくれるのだろう。
期待値の高さに気づき、それを下げてみることで自分の気持ちが楽になるし、相手に対する態度も温和になるから一石二鳥だな〜と思います。

父が最近、しばしば便座を上げたままトイレから出るようになりました。
それを見つけた私はイライラスイッチが入ります!
「私が中学生でこの家が新築だった時、便器の蓋を閉めずに出た私に対して『トイレから出る時は、蓋を閉めような』と注意したのは誰!? 以来、私は蓋を閉めて出る習慣が身についたのに、そのアナタが蓋どころか便座まで上げたまま出てくるってオカシイでしょ!!」
そう心の中で非難してしまう自分に気付く。
あ!私は父に、若くてカッコ良くてきれい好きなままでいてほしいと「期待」してるんだ、と重ねて気付く。
期待値を意識しただけで、イライラはスーッと消え去ります。

期待値を上げないこと、上がってることに気付くこと、大切だな〜・・・と考えつつ、家の洗面台で歯を磨いていたら、洗面台が跳ねた水でビショビショなことに気づきました。
そう言えば、母が何度か「アンタが使った後の洗面台、いっつもビショビショだから! ちゃんと雑巾で拭いといてよね!」と言っていたっけ。
その度に私は空返事して、心の中で「そんな、犬や鳥の水浴びじゃあるまいし。大げさな!!」と取り合いませんでした。
私の意識には、洗面台が濡れてるかどうかも、自分が水を跳ねかしてるかどうかも、問題としてのぼりはしなかったんですね。
あー、母は綺麗に拭きあげられた洗面台が好きで、家族にも同じ価値観を期待してるんだな。
でも、最近言わないってことは・・・期待値を下げたのか、我慢してるのか、はたまた歳で角が取れてきたのか!?
自分に対する期待値に気づいた瞬間、珍しく雑巾で洗面台を拭いてみました。
でもね、せっかく綺麗に洗った手で洗面所の雑巾を触ると、また手を洗いたくなってしまい、しっかり手を洗うと再び水が跳ねるんですよね。
洗面台を綺麗に拭き上げるのって、難し〜い!

期待するのも、期待に答えるのも、ほどほどがよろしいようで。
それではバトンを新潟の櫻井さんにお渡しします!
櫻井さん、よろしくお願いします♪

東京都/加藤クリ 






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