存在に感謝
こんにちは。千葉の藤野です。
櫻井さんの温かいお話に優しい気持ちになりますね。
櫻井さんの笑顔は昔からまわりの人にたくさんの安らぎを与えていたのではないのでしょうか。
私もそのなかの一人かもしれません。
人から与えられるということについて、ひとつお話ししたいと思います。
つい最近の出来事です。
私にはクリスチャンのお友達がいます。
月に何回か、教会に行ってお話ししたり、ご飯を食べたりしています。
そこにいる人達やその場所は私の日常の生活とは少し違う空間です。
先日もいつものようにご飯を食べながら、お話していました。
最近の出来事について話していたと思います。ふと、彼女が私に言った言葉に力が抜けてしまったんです。
仕事が忙しく、疲れていたこともあり、私がネガティブなことを言ったことに対してだったと思います。
それまでの会話が消えてしまうほどの衝撃でした。
彼女が私に言った言葉とは
「美奈ちゃんがいなくなったら、さみしいよ」
「◯◯ちゃんも◯◯ちゃんもそう思う」
「いてくれてありがとうって思ってる」
「だから、あの時出会ったんだと思う」
私は自分が傷ついたり、悲しくなったりしないように人との間に距離を持って付き合っていました。
そして、私なんかいなくなっても誰も悲しまない見捨てられる不安と恐れから、自分なんてちっぽけな存在で大した価値のない人間だと思っていました。
なので、そんなあったかい言葉を素直には受け取れず、「世間は冷たいよ」って返事してしまいました。
それに彼女が「でも、私はさみしいよ」と何度も繰り返すものだから、聞いていた私の心が震えたんです。
そうか、これが“愛”というものなのではないだろうかと感じました。
『あなたがいないとさみしい、いてくれてありがとう』
という言葉が心に響き、全身の力が抜けていきました。忙しい日々の中で随分と力が入っていたことに気がつきました。
私もこんな気持ちで人に接することができたら、幸せだろうなぁと思いました。
私が気づかぬうちに封印していたことだったのかもしれません。
『あなたがいてくれてありがとう。
出会えてよかった、
生まれてくれてありがとう』
素直に、これっていいなと感じた瞬間でした。
存在そのものに感謝すること。あなたは大事な存在です、と。
これこそが無条件の愛なのか、
こんな気持ちで子ども達のことを考えられたら、素敵だなと思いました。
こうしなさい、あれはダメと子どもの行動を正そうとついつい言ってしまいます。
自分自身もあれして、これしてと余裕がなくなっていました。
いてくれるだけでいい、その思いは、私をとても楽にしてくれました。
そんなに頑張らなくてもいいんだよ、あなたのままでいいんだよと言われた気がします。
本当に基本的なことなのに忘れていたこの気持ちを思い出させてくれました。
そして、改めてすごく大事なことだと実感しました。
この日から、まわりを見る目が変わった気がします。『いるだけでありがとう』と思えると、愛おしさが増すようです。
彼女に出会えたこと、彼女がいてくれたことにも感謝しています。
日頃の些細なことのなかに感動ってあるんですね。
南村さんはいかがお過ごしですか?
千葉県/藤野美奈
2017年06月05日(月)
No.304
(日記)