ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

不快を快に変える


こんにちは。静岡の植松です。

堀さんのお話を読んで、「自分で決めて行動する」ことの大切さを再確認しました。
最近、息子が「ママに言われなくても分かってる」とよく言います。
彼のやる気を奪わないよう、彼の行動を先取りして口にしてはいけませんね。

さて、私はどうだったかな?と幼い頃の自分に思いを馳せてみました。
私は小さい頃から何でも自分で決めて行動する子どもだったと思います。
小学校低学年の頃、そろばん塾が流行り、周りの友達がほとんど通っていたなか、私は遊ぶ時間がなくなるのが嫌なので"そろばん塾には通わない"という選択を自らしました。
また、小学4年の時にミニバスケットボールのクラブが新しくでき、真っ先に自ら申込んだ記憶があります。
その後の部活や習い事、進学する学校なども全て自分で選んできました。

こんな私でしたが、幼少の頃から1つだけ受身だったものがあります。
それは"家を継ぐ"ということでした。

私が生まれる前、一人っ子の母が父の元に嫁いだ都合で、母方の苗字(植松)を継ぐ人がいなくなってしまいました。
母方の親戚は"生まれた子どものうち1人を植松の跡取りにすること"という条件で結婚を許したそうです。
こんな大人の事情で、三人姉妹の長女に生まれた私は、幼少の頃から「家の継ぐ者」として育てられました。

自分で選んだ訳ではないのに、未来の行く末が決まっているということは、私にとってとても不快なことでした。
住む場所や結婚相手を自由に決められない、私が自分で望んだ訳ではないと、思春期にはよく反発したものでした。

そんな私が自分の意思で家を継ごうと決めたのは、社会人になるときでした。
決意の裏には、祖母の大きな愛情があったと思います。
以前に
このブログでも書きましたが、私のことをとても可愛がって愛してくれた祖母が、私が継ぐことを願っている、その想いに応えたいと思ったのです。

そして、"自分で家を継ぐ"と決めてから、私の人生観が大きく変わった気がします。
あんなに不快だと思っていたことが、自分で選んだのだからと思うと不快でなくなったのです。人に決められた道を歩むのではなく、自分で自分の人生をコントロールして歩んでいくのは何と心地いいことでしょう。
他人事と捉えている時の"不快"は、自分事に変えた瞬間に"快"に変わるということを、私は身をもって体験したのです。

それからの私は、何か嫌だなと思うことがあると、人のせいにしているから不快なんだ、自分のせいと考えたら何か解決する術があるはず、と思えるようになりました。
自分事として物事を捉えると、解決策が見つかるのでとても楽になれたのです。

幼い頃から嫌だと思っていた"家を継ぐ"という呪縛は、私に"不快を快に変える"という尊い学びを教えてくれたのでした。

それではクリさん、バトンをお渡しします。今回も楽しいお話、期待しています。

静岡県/植松知子 




2017年07月10日(月) No.309 (日記)

No. PASS