ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

20周年!!


植松さん、「受動的」から「能動的」になった時、不快だった感情が快に変わるお話、日々身の回りにもあることだなぁと深く頷きながら拝読しました!

東京の加藤くりです。
今年も7月8日を迎えました。
私にとっては、特別な「記念日」です。

ちょうど20年前になります。
1997年7月8日、前職であるバイク便の仕事中に事故に遭いました。

停車し信号待ちしていた時、後ろから4tダンプが突っ込んで来たのです。

バイクは大きく飛ばされ、歩道に乗り上げていたそうです(巻き込まれた人がいなくて良かった!)。
そのバイクに乗っていた私は、ダンプの下敷きになっていました。

左足骨折と、両足・右手裂傷、全身打撲の重傷です。
私の前に停まっていた乗用車も、幸い運転手に怪我はなかったそうですが追突により車は全損だったそう。
なかなか派手な事故でした!

不幸中の幸いでしょうか。
事故は幹線道路を渋滞させるほど派手だったし、包帯とギブスでグルグル巻きにされた私も派手な重傷患者に見えましたが一つ一つの怪我は割と軽く、深刻なダメージを免れました。

ダンプの、タイヤの下敷きになっていたら・・・再起不能だったかもしれないと思うと、治療とリハビリで取り戻せた両手両足の機能に感謝しかありません。

ましてや、命があることだって奇跡です!
事故の時、救急隊員さんは私が女性だと分かると、野次馬の視線から守る様に頭から毛布をかけてくれました。

後に入院リハビリ仲間から教えてもらった情報によると、あの大きな事故当時、毛布をすっぽりかぶされた私は既に死んでるんだと、見物人達から推測されてたそうな! 顔も覆われてたし、見えてたバイク便の制服では男性だと思われますよねー。

男性ライダーが亡くなったんだよと、ご近所のウワサになり、益々助かった命の有り難さを想うのです。
そんな「感謝の気持ち」を、毎年7月8日が来ると改めて思い出し、しっかり味わうようにしています。

しかも今年は20周年、例年は自分の胸中で思い出しSNS で呟くだけだけれど、20周年は記念だなーと思い、寿司など買い求めて両親と祝杯をあげました。

すると、最近物忘れの激しい母も電車で私の入院先まで通った夏の日々をクリアーに思い出したらしく、思い出話を語り始めたり。

あの場で人生が終わらなかったから、こうして20年後の少し年老いた両親に寄り添えたり。当時はまだ小さくて我が家でよく預かっていた姪っ子や甥っ子達の立派に成長した姿を、頼もしく見たりできるのは嬉しいプレゼントだなと、ジワジワ感じる記念日。

その様に交通事故とそれに続く入院リハビリ生活は、命と五体満足の有り難さをしみじみ教えてくれましたが、他にも学んだことがあります!

それは、とうの昔に一度経験して喜んだはずなのに忘れてしまった「歩けるまでの課程」と、その感動です。

赤ちゃんが座って、ハイハイして、つかまり立ちからのつかまり歩きそして一人歩きへと進化してゆく課程・・・皆さん、ご自分が二本足で歩き始めた時の感動を覚えてますか? 私は全く覚えてません。

整形外科のリハビリではベッド上安静→車イス→松葉杖→二足歩行といった経過を辿り、徐々に元の状態に近づいてゆくという体験ができました。

骨折している左足には体重をかけられないので、骨がつくまでまずはひたすら安静にします。

次に「左足過重ゼロ」を維持しつつ、車イスを乗りこなすようになります。

松葉杖が解禁になっても、最初は「左足過重ゼロ」なのでギブスした左足をピーン!と前に付き出した状態で歩き始めます。
と、両方の脇の下の松葉杖上部に全体重がかかるので、脇の下が悲鳴をあげ始めます! 意外と華奢な脇の下!
せっかく「立った」状態で、高い目線で広い視野で歩き始められたのに。

ガラス摘出術を受けた右手も、形が変わるくらい皮膚を引っ張られ縫われているので松葉杖を握りしめると痛くなる。
松葉杖は、立てる喜びと共に改めてできなくなってることを教えてくれました。
ここからクラブ活動のように、日々練習スタートです!

何日かすると、「左足過重30%」という指示があって体重計を恐る恐る左足で踏み、30%過重がどの程度なのか体感してから過重しつつの松葉杖歩行スタート。
この過重のパーセンテージが叙々に上がっていきます。

過重を増やしていく一方で、もう1つ重要なリハビリが足の曲げ伸ばしです。
信じられない事でしたが、1ヶ月ほど伸ばし続けた大人の膝と足首って曲がらなくなっているんですね! 自分の膝ながら、途中までしか曲がらなくなっているのには驚きました。

同じ足を骨折しギプスで固定されていても、小さな子どもだと関節が柔らかいのか?ギプスを外したその場で普通に歩き出すそうです。

大人はそうはいかず、毎日看護師さんが腰を痛めそうになりながらベッド上へはこんで来てくれる電動の機械に左足を固定し曲げ伸ばし運動をして、徐々に柔軟性を取り戻します。

折れた骨がつくよりも、固まった膝や足首の関節を柔らかく戻し、正座をしたり和式トイレに入ったり出来る迄に戻す方が時間がかかりました。
正座ひとつ、しゃがめることひとつを取っても、できて当たり前ではなかったのですね。

新鮮な体験を沢山しました。病院のスタッフの皆さんや入院リハビリ仲間、見舞いに来たり気にかけたりしてくれた友人達のお陰で、元気を益々チャージしつつリハビリにはげめたと思います。

そしてきっと、赤ちゃんの時にこの「立って歩ける様になってゆく感動」を味わってるんだよなぁ。なんて想像しつつ。
思いがけず追体験できたことにも感謝☆

皆さんの、マイ記念日はいつですか?
生きてる奇跡に、感謝したくなるのはどんな時?
二足歩行ができるまで諦めなかった私たちって、素晴らしいですね。もし諦めていたら、今頃は・・・ハイハイで歩く大人が散見されてたハズ。

不慮の事故や予期せぬ災害で突然、命を奪われる人達がいます。
昨日、天に召されたその人にとって「今日」は、ただ生きたかった1日ではなかったでしょうか。
生きたかった人達の「夢」の中で、今日の私達は生きている。

大事に味わって、1日、1日をエンジョイしたいですね。

では、新潟の櫻井さんにバトンをお渡しします!
次のお話も楽しみにしています♪

東京都/加藤くり 





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