ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

形見の指輪のメッセージ


くりちゃん、2年間のロングランお疲れさまでした。
私は、ちょうど折り返し地点。あと半分、どうぞ見守っていて下さいね。

今春義母が亡くなってから早5カ月、そろそろ事務手続きや身辺整理も落ち着いて来た頃、サイズ直しを依頼した形見の指輪ができあがりました。それは、私が嫁いだ当時から義母が左の中指にはめていたものです。

年を重ね指が痩せて指輪がくるくる回るようになると、その都度サイズを縮めながら大切にはめ続けた指輪。
最後は、私の小指位のサイズになったそれを、このたび形見として引き継ぐことに決め、私のサイズに直しました。

義母は、83歳まで現役の医師として診察を続けました。
私は、自宅続きの診療所から賑やかに患者さんと話す義母や看護婦さんの声が聞こえてくる家に嫁ぎました。
義母は、年末には診察途中の患者さんを待たせ、台所の黒豆の煮加減をダッシュの小走り!?で見に来るような先生。
またそれを「先生! 豆煮えたかね~?」と、心配してくれるような患者さんが集まる診療所でした。

くだんの指輪は、家庭と仕事を両立していた職業婦人(義母曰く)の義母にふさわしい、家事をしていても邪魔にならない、凹凸のないシンプルなデザインの指輪です。
「何してても、引っかからなくていいのよ、この指輪」と、手をさすりながら話していた姿を思い出します。

そんな、思い出いっぱいの指輪が、私のサイズに生まれ変わりました。
もちろん、はめるのは左の中指。義母と同じ指です。ずっと眺めていた指輪が自分の指にある光景は、何とも不思議な気分です。と同時に、家を引き継いだ責任感も感じます。これは嫁としての感情でしょうか。
夫にも報告せねば!と
「お母さんがずっとはめていた指輪、これからずっとはめていようと思うよ。何だか背筋がしゃんとする気分だわ」
と伝えました。夫は、「ほぅ…」と少し嬉しそうでした。

義母は、亡くなってから私の耳元でいつもささやいています。
(美奈子さん、もう気にすることは何もないんだから、あなたのやりたいようにうんと!がんばりなさい)と。

そのメッセージが形になった指輪です。そのささやきは、いつも迷った時私の背中を押してくれます。
時に容赦なく!? 時にはそっと…。その一押しが力となって、私は日々『前へ』進んでいます。

義母が一医師として生涯生きたように、私はこの先どんな役目をになっていくのでしょうか?
50歳を過ぎた今、指輪を眺めながら、社会の中での自分の立ち位置を模索しています。
・・・ちょっと大げさかな?

(美奈子さん、のんきがいちばんですよ)・・・あ、指輪が喋っています。
ですね・・・お義母さん。猪突猛進の私に時々ブレーキをかけて下さいね。

藤野さん、秋を楽しんでいらっしゃいますか?
バトンをよろしくお願い致します。

新潟県/ 櫻井美奈子 






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