ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

居場所


1月も下旬となると千葉も寒いです。
櫻井cafeは、新潟の寒さの中に一時ホットできる場所として存在しているのではないでしょうか。
親以外の大人との関係って子どもにとってはとても大事なものだと思います。

私も子どもの頃にそんな大人達がいたことをふと思い出します。

私は親とはあまり会話をする子ではありませんでした。
親に言ってもわからないという思いが強かったからなのかもしれません。
親からも強く何かを要求されたりしたことはありませんが、なんとなく親の望みに合うようにしていた気がします。
親の価値観から外れないように生きていたんだと思います。

そんな私にとって、他の大人との会話は新鮮で違う世界を見せてくれるものでした。

学校の帰り道にある文房具屋のおばあちゃん、習字の帰りに寄る縁側の駄菓子屋さん、ファンシーショップのおばさん、商店の中にあるおでん屋台のおばさん等々…

同年代の友達とも違った関係が、とても心地よかったことを思い出します。

そんな大人達との会話は、特別なものがあったわけでもありません。
ただ、なんとなくその場所が居心地がよかったんだと思います。
たわいない会話の中に私自身でいられる心地よさを感じていたのかもしれません。

責任のある親や先生からはどうしても評価される対象として見られます。
そんな責任関係がない大人は、子どもの私でも一人の人として接してくれます。
また、興味を持って、話を聞いてくれます。
きっと、○や×でもなく、また、ある枠組みにもいれられないことのない気楽さがあったんだと思います。

あの時のあの関係が、子どもだった私の世界を広げてくれました。

そして親になった今、私は子ども達を窮屈な思いにしてはいないだろうかということが気になります。
子どもの一挙手一投足、いちいち気になり、それについつい口を出したくなります。

でもそれって……?
もしかして、子どもを育てる親の責任からくる親の思いを子どもに押しつけようとしているということ? 自問自答です。

窮屈さを感じながらも、私はそうやって親の知らないところで勝手に成長してきています。
きっと子ども達も親の目の届かないところで自分の居場所を見つけ、のびのびしているのかもしれませんね。

自分の世界を少しづつ広げながら、少しづつ親から離れていくのかな。
さみしくもあり、嬉しくもありです。

今回の藤野節はいかがでしたか?
南村さんにバトンをお渡しします。

千葉県/藤野美奈 





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