活動記録

プログラム当日の様子や概要などをハートフルコーチがお伝えします

第18回ハートフルクラブ


11月23日、第18回ハートフルクラブが開催されました。


《午前の部》では、釜石市教育委員会教育長 川崎一弘氏をお招きし「自分で考え行動する力の育て方」と題し講演していただきました。

東日本大震災。あの未曽有の震災において、釜石市ではほんとんどの小中学生が自力で大津波を生き延びました。それは後に「釜石の軌跡」と呼ばれます。そして迅速な非難行動を可能にした釜石市の防災教育は国内・外から注目を集めてきました。
講演の冒頭「私たちは子どもたち全員の命を守るために防災教育に取り組んできましたが、命を落とした数名の子どもたちがいました。多くの取材を受ける中でお伝えしているのは、私たちの防災教育は『効果はあったが、成果はなし』だったということです」と話された川崎教育長の言葉が、今も私の耳に残っています。

市では長年にわたり、小学校低学年から通常教育課程の中で年齢に合わせた津波防災教育を取り入れてきたそうです。小さいときから教育を継続することでその子たちが大きくなったとき、今度は教える立場・助ける立場になることができるからです。
釜石のその防災教育は「何をすればよいのかがなんとなくわかる」程度に止めず、「なぜすぐ逃げることが必要なのか」までを子どもたちに伝えています。正しい知識と訓練による体験がいざというときの行動を促す原動力になり、その場での最善の行動・策を考える礎となるからです。
また逃げるスキルだけではなく、子どもを親をそして友達を互いに「信じ切る心」も同時に育ててきました。親は子が、子は親が絶対に逃げていると信じてたとえ一人でも逃げる。みんなを信じ切り主体的に行動することが<生き抜く>術でもあり、最終的には自分ひとりの命だけでなく、人の命も救うことになるという教えでした。
あの震災の日、「津波だ!逃げろ!」の叫び声、背後から迫るゴーという津波の音。中学生たちは恐怖ですくみそうになる気持ちを奮い立たせ、小学生の手を握りながら必死で高台へと走ったそうです。
助ける立場として最後まで小学生に寄り添い続けた中学生、逃げなくても大丈夫と言う大人を説得して避難した子、家族を信じ家に戻らずその場からまっすぐ高台へ向かった子どもたち。多くの子どもたちがあの瞬間に自分で考え即座に行動を起こしたのです。
講演を聞きながら、命を守る防災教育に本気で向かい合う大人たち、その思いに応えてきた釜石の3000人近い児童・生徒がまるで心をひとつにしたかのように避難を始める光景が浮かび、胸が熱くなりました。

講演の中では釜石東中学校の生徒が2011年8月に行われた「防災フェア体験報告会」に参加した映像も紹介されました。
「普段をしっかりしてこそ大事なときに普段以上の力が出せる」と繰り返し教えられてきたこと、海岸に住む自分たちにとって訓練は常に真剣なものであったこと、震災当日の様子、津波が去った後の変わり果てた町の姿、そして復興に向かう自分たちの思い。震災からまだ日の浅い8月、中学生たちは自分たちの体験を静かに語り、こうして語り継ぐことが次に誰かの命を救うことになると呼びかけていました。
被災してなお行動を起こす彼らの姿に胸を打たれると同時に、釜石の教育は子どもたちに深く根差しているのだと思いました。

川崎先生は「『率先して避難する最初のひとりになりなさい、それが多くの人の命を救うことになる』と教えてきたが、子どもたちはあの日、身をもって実践してくれた。教えてきた以上のことをやってのけてくれた。子どもたちの持っている力は大人が思うよりずっとすごい」と話されました。
「奇跡は起ったのではなく、普段をしっかりしていたからこそ起こせた奇跡なのです」との力強い言葉に、防災教育にかける確固たる思いと子どもたちへのゆるぎない信頼を強く感じました。

「子どもはすごい力を持っている」。先生の言葉が今も胸に響きます。私たち大人はその力を伸ばすために何ができるのか、改めて考えてみたいと思いました。

上村明美 







2012年11月27日(火) No.47 (ハートフルクラブ)

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