ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

いろんな自分を認める


札幌のわたなべです。やっと日陰の雪が無くなり、北の町にも遅い春がやって来ました。でも、お花見はもう少し後かな。
桜前線が待ち遠しいです。

倉敷の豊田さん、3人の息子さん達とにぎやかで楽しそう。そして、お互いに応援しあうって良いですね。
私も子どもたちからの言葉を思い浮かべてみました。近い存在だからこそ厳しく、また若者らしく率直な感想をくれることが多いので、結構助けられていたことに気付きました。

さて今回は、まだ私が子どもに助けてもらうことに慣れていなかった頃の話です。

皆さんは家族の前で涙がこぼれ落ちるほど泣いてしまったことはありますか?
数年前、たまたま借りてきた映画を見ながら娘と号泣したことがありました。家族の前で泣いたことがすごく恥ずかしくて子ども達の顔を恐る恐る見たのですが、みんな全然気にしていませんでした。

それまでは、お母さんはいつも笑顔でいなければならないのだから、どんな理由であっても、涙を見せて子どもを不安にさせてはいけないと考えていました。
楽しいことは一緒になってより楽しく過ごすけど、負の感情はなるべく意識させないように、親も見せないようにという具合です。

しかし、子どもはそう思っていませんでした。この時は映画という理由があったからかも知れませんが、一緒に笑うことはもちろん、泣いたり怒ったりするときでも、喜怒哀楽の感情を共有するほうが『同じように感じている』という嬉しさが増すみたいです。
当然いつも同じように感じるとは限りません。ですが、感情を抑えているよりは「何を感じているか見えるお母さんのほうが良い」と息子は言ってくれます。
冷静に、毅然として、感情に流されず、というのが私の中での“親のあるべき姿”でしたが、子どもは結構柔軟に親の感情を受け入れていました。自分が思っているほど、うまく負の感情を隠せてはいなかったようです。

親子間に限らず、例えば落ち込んだ様子を見せるということは私にとってとても恥じるべきことなので、子どもにも絶対隠しておきたかったのですが、息子の言葉を思い、“いろんな感情があっての私”なのだと考えるようにしました。
今となっては、子ども達に少しくらい弱いところを見せても不安がるどころか、私を慰めてくれたり、意見してくれたりとかえって逞しく接してくれます。いつも笑顔で居続けられるはずもないのに、それを求めて自分を追いつめる必要はなかったのです。

そしてこのことは、頑なだった自分の心に少しずつ変化をもたらしています。家庭の中だけでなく、人付き合い全般にも波及しているのです。
ダメな自分を知られることは恥ずかしいけど、それを含めての自分で接した方が無理なく誠実なのかなと考えることもできるようになってきました。
“いろんな感情があっての私“ 
これを認めることが子どもの成長に目を向けさせ、自分をちょっとだけ解放したのでした。

次回は埼玉の斉藤さんです。どうぞ!

北海道/渡辺寿子 







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