ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ペット、子ども、部下の共通点?


こんにちは、群馬のともどんです。
私が住む高崎の桜は“ソメイヨシノ”から、“しだれ桜”に盛りが移ってきました。今週あたりは“八重桜”が見ごろを迎えそうです。
もっとも、群馬は北に少し車を走らせれば5月初旬までは桜前線に追いつくことができます。
「今年は桜を見逃した」というときには、とても便利なところです。

さて、春と言えば、卒業、入学、別れ、出会いのシーズンですね。
だからという訳ではないのですが、我が家では先週、ひとつの別れがありました。家族の一員だったシーズー犬の“もも”ちゃんが静かに息を引き取ったのです。
10年前に我が家に来たときは推定6歳。
今は、人間でいえば優に百歳を超える老犬です。ここ1〜2年は、目も見えなくなっていたので、家の中でのんびり、寝て起きて、ご飯を食べて、また寝る。そして、毎日のように、お漏らしをしてしまう、という生活。
それでも、家人の誰もが、文句も言わず、「あら〜、ももちゃん」「こんなところにしちゃったの〜」と気付いた人が後始末をします。
思い返せば、最初の頃、「ペットの飼い方」や「ペットのしつけ方」みたいな本を読んでは、
「へ〜、叩いちゃいけないんだ」とか、“困った顔をするだけで犬には解ります”などと書かれた本を見て「へ〜、そうなんだ」「何か子育てにも似てるな〜」と漠然と思っていた記憶があります。
さすがに子どもに手を挙げたことは無いのですが、子どもが思った通りに行動できないときには、イライラする時がありました。
でも、“もも”ちゃんに対しては、そんな記憶がありません。

何故なんだろう? 犬だから、どうでも良い? 
いや、そうではない気がします。

じゃあ、なぜ? 可愛いから何やっても許せる? 
それなら子どももいっしょだよね。

ここまで考えて、どうしても頭に引っかかっていることがあります。
会社の部下のことです。
仕事のアウトプットが、私の期待と違うのです。
私:「そうじゃないよ。Aさん。私はこうしてほしいんだよ」
Aさん:「いやぁ、私はこれで良いんですよ」
みたいなやり取りを毎日のようにやっています。
そうすると、最後には少し声を荒げて「いいからこれでやってください」
ということになってしまいます。

結局、おなじ根っこに繋がっている気がしています。
「期待」という名の「自分の型」に嵌めようとしているとでも言うのでしょうか。
“もも”ちゃんは最初から「自分の型」に嵌める対象ではないと無意識に思っているのでしょう。
でも、子どもや部下は「自分の型」に嵌まると思っている。
意識はしてないんですけどね。自分のとっている行動からは、そう分析できそうです。
“子ども”も“部下”も、“もも”ちゃんと同じく、「自分の型」に嵌める対象でないと、明日からは意識してみようと思います。

“もも”ちゃん、本当にありがとう。

では、次は明石のりえちゃんです。宜しくお願いします。

群馬県/長橋良智 





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