ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

身近にある成長


ともどん。お父さんと娘さん。
良い関係ですね。
なんだかにやにやしちゃいました。

人の成長した姿を見られると、なんだかほんわか幸せです。
私の身近にも「成長」、あるある。

私は子どもたちの表現のワークショップ(参加型講座)を開催していますが、子どもの成長には目を見張るものがあります。
最初できなかったことが5日目には躊躇なくできるようになったり、どんどん仲良くなってくれたりといったことも、目に見える嬉しい成長のひとつです。

ワークショップで子どもたちとお話をつくるのに絵を描いてもらうことがあります。
テーマを決めて、大きな模造紙に自由に描いてもらうというのが主なスタイルです。
ある子は絵を描くことが好きなようで、黒一色でその子の世界をのびのびと描いていました。
私が「いっぱい他にも色があるよ。使っていいよ」と言うとその子は知らん顔。聞く耳持たない感じ。
私は、その子が黒一色で絵を描いたことが気になったのでした。

ある子は、大きな模造紙の片隅に小さな小さな可愛らしい絵を描いてくれました。
私が「まだまだ、いっぱい描くところあるよ」と言うと、「これで完成」と言います。
私が気になったのは、大きな模造紙にその子が小さな絵を描いたことでした。

ある子は、遊んでしまって模造紙には近寄らず絵を描こうともしません。
私が「ほら、絵を描こう!楽しいよ〜」と言うと子どもは「いやだー!」と逃げます。
私が気になったのは、子どもが絵を描かないことでした。

なぜそれらが気になったか。
私が[理想の子どもの姿]という枠を通して、子どもたちを見ていたからだと思うのです。
[子どもの絵=色とりどりの絵][子どもの絵=大きな模造紙には模造紙いっぱい使ってのびのびと描く][子ども=絵を描くのがだいすきですぐ描ける]という枠です。
子どもたちと接していくうちに、自分のなかにたくさんの[理想の子どもの枠]を持っていることに気付きました。
そして、知らず知らずのうちに私の枠の中に子どもたちをはめて満足しようとする自分がいることにも気付きました。
思いどおりにならない子どもたちからもらった気付きです。

どの子も自分の世界を持っていて、どの子も今のその子を表現してくれている。
それでいいのだ。
まず、子どもたちが一人一人、ここに居てくれること。
それが一番大切なことだと今は思うようになりました。

自分の枠をはずして、今、目の前の子どもをそのまま寛容に認めること。
そして、正直にそこに居てくれる子どもたちに対して、私も正直にここに居ること。
この子のここが気になる、放っておけないと私の心と身体が感じたときは、慎重に全力で子どもたちに接して、観察すること。

何度か子ども向けのワークショップを経験した今では
黒一色で描かれた絵も子どもが描きたいことがストレートに伝わるなと気付き、大きな模造紙の小さな絵もなんとこだわりのある良い絵であることかと気付き、絵を描くのを嫌がる子には嫌がるいろんな理由があることに気付くことが出来ます。
振り返ってみると、私のいろんな枠を外して成長させてくれたのは、どうやら子どもたちでした。

1年の成長や長年かけての成長が見られる春。
私の身近にある成長は、私自身の成長なんじゃないの? 自分の枠を外し続け、自分に正直に居るという気付き、繰り返しの実践。
もしかして、子どもたちが寛容に私と一緒に居てくれて、一緒に成長できたんじゃないの?
わーい!

と自画自賛しつつ、この歳になってもだまだ成長したい〜と思える春のはじまりです。

さて、倉敷の豊田さんも春爛漫かなー。

兵庫県/はせなか りえ





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