ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ハートフルコミュニケーションと私


徳島の濱田です。確かに最後のバトンを受け取りました。
子育てのストーリーがあり、悩みが生まれ、学ぶことの大切さを実感したとき、ハートフルコミュニケーションと出会った豊田さんのメッセージを「うん。うん」と頷きながら読みました。

私がハートフルコミュニケーションと出会って10年が過ぎます。
子供たちを取り巻く社会は、すごいスピードで変化し続けています。スマホやゲーム等の通信機器やいじめの問題など、子育ての不安はますます大きくなる環境の中でありながらも、3人の娘がそれぞれの人生へ、振り向きもしない勢いで飛び出していってくれたのは、ハートフルコミュニケーションが、私の基礎の部分を大きく占めていたからだと思います。

毎月1回のハートフルコーチ養成講座では、自分一人だけでは思いつかない視点から子育てを見直す体験がよくありました。
そのひとつが、「自分と親との関係を振り返ることで,今の子育てが見える」ことでした。目の前で起こっている我が子との問題も、その解決のヒントは、自分と親との関係の中にあったのです。
娘の長くつらかった反抗期も,よくよく考えれば,私自身が,自分の母親に抱いていた「いちいちうるさく構わないでほしい」という思いの延長上にあったものでした。

母とゆっくりした時間をもつことを避けていた自分を振り返り,意識して母と話す機会を増やしました。父親のグチを並べる母に,「確かに父さんのそういうところはいやだろうけど,いいところへ目を向ける方が,母さん自身がラクになるよ」と言う私に,「へえ〜どこでそんなこと教えてもらったの?」と思ってもない返答がありました。
「毎月東京行って,そういうこと勉強してるんだよ」とハートフルコミュニケーションのことを伝えると,「あなたも偉くなったねえ」と,当時40歳を越えていた私をうれしそうに見ていた母を思い出します。
娘と自分,親と自分の関係に気づいてからは,娘たちのことを少しゆとりをもって見られるようになりました。長かった私自身の反抗期がやっと終わったのかもしれません。時々、他界した母と,ハートフルコミュニケーションについて話したあの場面を思い出します。

今年の母の日に、長い間反抗期の森で迷子になっていた次女から,「母の娘でよかったです。私の最高の理解者である母さんへ・・・」とメールが届きました。
子育ては,喜びと悩みの連続です。私が,悩みの渦に巻き込まれなかったのは,「子どもは自分で育つもの」ということを学ぶことができたからです。娘たちが巣立った今も,ハートフルコミュニケーションは私の根幹になっています。
「愛すること」「責任」「人の役に立つ喜び」の3つのメッセージを大切に,子どもたちや周りの人たちのもっている力を信じて、その育ちを共に喜ぶ人でありたいと思います。そして、ささやかながら,ハートフルコミュニケーションの種をまき続けていこうと考えています。

それでは、福ちゃん,愛をこめて最後のバトンを渡します。 
 

徳島県/濱田雅子 









No. PASS