ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ママの味



皆さんこんにちは。東京の佐藤です。

気がつけば、8月も半ばを過ぎ、夏休みも残り少なくなってきました。なんだかあっという間に感じられて、名残惜しい気分です。

島さんの鶏肉料理! 美味しそうですね。我が家でもメタボな夫のリクエストとあって、晩ご飯の献立に鶏胸肉は欠かせない食材のひとつになっています。とくに梅肉とゴマ油で和えるレシピは家族の大好物。かなりの頻度で食卓にあがります。それも本当に美味しそうに食べてくれるので、作りがいがあります。

私は子どもを産む前は、まったく料理ができませんでした。
みそ汁のダシって何? というレベルで、朝食はパンで済ませ、夜は仕事が終わるのが遅かったため、外食が常でした。今にして思うと、とてもバランスを欠いた生活をしていました。

転機は息子が生まれて離乳食が始まった頃でした。
市販のベビーフードに頼っていた私を見かねた夫が、毎日おかゆを炊いて、ふかしたサツマイモや柔らかく煮た大根で離乳食を作りはじめました。その姿に、家族のために料理を作りたい!という気持ちが高じました。

以来、レシピ本を頼りに1日に1〜2品程度作る努力をして、今ではお客様をおもてなしできるレベルにまで成長しました。

幸い夫は私に料理を作ることを強要したことはありませんでした。だからこそ挑戦してみよう、と素直に思えたのでしょう。味わいながらの夫のコメントが、料理の腕を上げたと言っても大げさではありません。

まさに私は気づかないうちに、夫にうまいことコーチングされて、料理が上達したのかもしれません。とりあえず、夫に感謝です(笑)

おかげで息子は私が生み出す「ママの味」がとても好きなようで、母親としては嬉しい限り。反面、困ったこともあります。
外食をとても嫌がるのです。

今日は仕事で疲れたから、外で食べようと提案しても、
「えーっ、やだ! お願い! 僕、ママの春巻きがどうしても食べたいの」
よりによって、手のかかる料理をリクエストしてくる始末。
「お願い! 皮巻くの手伝うから!」

いつもそう懇願されて、仕方なく外食を諦めるのです。息子は自分で言った通り手伝ってはくれるのですが、食後の私は疲労困憊です。
たまに手抜きで市販の総菜を食卓に並べると、
「これ、ママが作ったの?」と必ず聞いてきます。
「そうだよ。おいしいから食べてね」
「いや、ママが作ったって感じじゃないよ」
彼は料理の見た目で嘘を見抜き、一切口にしません。

給食は美味しいのか完食しているようですが、合宿や旅行は、料理が口に合わないという理由で、行きたがりません。
「貧しくて食べられない人も世界中に大勢いるの。お店のお惣菜だって、作った人は皆、誰かのために時間と労力を費やしてるのよ。選り好みしないで、出されたものは食べなさい!!」
いつも叱った瞬間は反省する様子を見せるのですが、行動はなかなか変わりません。
そんなある日のこと。戦後70年を記念した報道系番組を息子と一緒に見ている時でした。少年兵たちが草を食べているシーンに息子が反応しました。
「ねえママ、なんでお兄さんたちは草を食べているの?」
「え? なんでって、食べるものがないからでしょ」
飢えを草でしのいでいる状況が息子には理解できないことに、私は衝撃を受けました。
「草って食べられるの?」
「お腹空き過ぎたらどうなる? でもどこ探しても食べ物はないの。あなただったらどうする?だからそれこそ虫でも草でも何でも食べたの。生きるためにみんな必死だったのよ」
「そうなんだ…」
「だからいつも言うでしょ。何不自由なく幸せに暮らせることを当たり前に思うなって。毎日、お腹いっぱいに食べられる幸せに、もっと感謝して」
「僕、戦争中に生まれていたら、どうしていたかな…」

よほど戦争映像がショッキングだったのでしょう。その日から息子は少し変わったような気がします。
私が作る料理でも、これまでは口に合わないといって残しがちだったものも、頑張って食べるようになりました。外食で、もめることも少なくなりました。

「お腹いっぱいに食べられる」現実が当たり前だった彼が、「飢える」という過去にあった真実を知ったことで、きっと生まれて初めて今がとても豊かで幸せだということを心から実感したのでしょう。
この7歳で実感したかけがえのないものを、いつでも思い起こせるよう、この先も心にとめて生きて行くことを切実に願っています。

次回は新メンバーの愛知の児島さんです。
どんなお話を聞かせてくれるのか、楽しみです。

東京都/佐藤英子





No. PASS