罪悪感からの脱出
植松さん、そうですか〜、発表会の場で、息子さんの成長を目の当たりになさった情景が、目に浮かぶようです。そして、その時の、植松さんの気持ち、その瞬間以降、余韻を以て味わえているんだろうな〜と感じ入っております。
植松さんのブログを読んで、こんな自分の思い癖を思い出しました。子供の成長が感じられるときは、親の自分も自己肯定しやすいけれど、子どものことで、問題が発生したり、子どもとの間にうまくいかないことが起こると、悩む自分がいて、自分はこれでいいのか、自分がやってきたことは間違っていたのか・・・などと、穴にはまるな〜。と。
“自分と未来は変えられるけれど、過去は変えられない。”などということをきいた暁には、自分のやった過去のことは、もう取り消せないんだ〜!と穴にはまるどころか、沈みます。・・・が、最近、そうでもないな〜って思えてきました。
“過去の事実は変えられないけれど、過去のことに対する受け取り方は、変化していくな〜。”と。子どもに対して、不甲斐ない自分がいた。ひどいことをしてしまった。と思ったとしても、その受け取り方は、自分の中でも、子どもの中でも変化していくものだな〜と思えて、穏やかな心を取り戻しています。
こんなことがありました。今から3年半ほど前。今22歳の息子が18歳で、一人暮らしのために家を出ていく日の朝です。
「母ちゃんが、俺が小学校5年ころから、外で仕事をすることが多くなり、家族で出かけることが激減した。そして、妹のことを俺に“お願いね。”って任せて出ていくのが、重荷だった。」と息子。それをきいたとき、“が〜ん!え
〜! そんなこと思っていたの〜! そんな思いを今まで言わずに抱えてきたの〜! 私は、そんな息子の気持ちも知らずに、なんてことをしてきてしまったんだろう〜!“自立の子育てだ。兄妹で過ごさせることは、二人の成長につながること”といい気になっていた自分を反省。その朝、私は“今まで申し訳なかった”と息子に謝り、息子は家を出ていきました。
その時点では、そうしてきてしまった過去はもう取り戻せないんだと思い、悔やむ自分がいました。悔やみ反省する自分とは裏腹に、相談を持ちかけた方々の反応は、“この時点で、このことを、親子で共有できた、話せたことが良かったよね”“息子さんが結婚するなどして、親の立場が分かった時、親の本当の思いをわかってくれると思うよ”
これらの言葉をありがたいと思いながらも、そうなってくれればいいな・・・とまだ受け止めきれずにいました。
そして、それから3年半の時が流れ、今は、相談に乗ってくれた方々の言葉を、心穏やかに受け入れることができている自分に気づきます。過去の事実は変えられないのですが、息子自身が、自分の思いや考えを大切にして、人生を前に進めようとしている今の様子をみて、“重荷”は払拭された感じがしますし、私自身も“仕事に走った自分”を罪悪感を以て受け止めていましたが、よく考えれば、ゴツンゴツン、壁にぶつかりながらも、その時のベストを尽くして生きてきたもんな〜。など思える今日この頃なのです。この受け取りは、今後また変わるかもしれません。
ということで、過去は、もう取り返せないのではなく、いかようにも受け取り方を変化させることは可能だし、未来も自分も変えられる可能性に満ちているということを今は信じられます。
次週は、加藤くりちゃんへ、バトンタッチ!
群馬県/渡辺照子
2015年11月23日(月)
No.223
(日記)