ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

母の日に想う


こんにちは。愛知の児島まなみです。ゴールデンウイークはいかがお過ごしでしたか?

佐藤さんの息子さんは、怖い先生の優しいところ、面白いところを、今日も、まんまるお目目で探しているかな?たくさんみつかるといいですね!ちなみに、私も怖い先生が大の苦手でした。

さて、昨日は母の日でしたね。私の母は5年前他界しましたが、今でも私の心の中に、母の言葉、母の存在が、息づいております。
私は、高齢の両親から生まれました。欲しくても欲しくてもなかなか授からず、諦めた頃、ようやく授かったそうです。
私の母や母の親戚は、幼い私に「まなちゃんは、神様に拝んで拝んでやっとできた子どもだよ!」とよく言っていました。「神様に拝んで生まれてきたから、つむじだって、ほら鳥居つむじだよ!」と私の頭を撫でたものです。鳥居つむじとは、頭の頂上に対極に2つあるつむじのことす。このつむじのおかげで、毎朝、髪があらぬ方向へいって苦労しましたが、母がその髪をといてくれる時、「神様の子だから仕方ないよねぇ…」と思っていました。拝んで生まれてはきたけれど、決して神様の子ではないんですけれどね。

そんな遅がけの一人っ子の私でしたが、両親は、蝶よ花よと育てたわけではなく、愛情たっぷりの言葉がけをしてきたわけでもありません。特別贅沢な家族行事の記憶もありません。
思い出すのは、母が、ただただ、私の色々な話を「うんうん」と聞いてくれたことです。
きっと、我儘なこともたくさん言っていたと思います。でもどんな時も、母は、私の話を、時にはご飯をつくりながら。時には編み物をしながら、ずっとそばで聞いてくれていました。母とのそんな穏やかな時間が、大好きでした。
そうして「私はどうも大切な子らしいぞ」と、小さなころから培われてきた想いが、私に色々なことを気づかせてくれたり、悲しいこと、辛いことを、そっと支えてくれていた気がします。

例えば、思春期に友達関係で悩んだ時、最終的に、私は、友達を大切にすることに欠けていたことに気づきました。自分は大切にされていたのに、人にはないがしろにしていたのですね…。そのことに気づいて、まわりの人を大切にし始めて、友達関係、ゆくゆくは人間関係に悩まなくなりました。
就職を決める際には、全く順風漫歩に行かず、友達が次々決まっていく中、私はもう、前さえ向けない時がありました。でも、いつも、心の奥に、「私は大丈夫。なぜなら、私は大切な子だから!」という想いがありました。この自らの想いに後押しされて、いばらの就職戦線を無事通過し、その後、仕事でいろいろあっても、なんとか乗り切って来ました。

いくつになっても、相変わらず、悩んだりへこんだりしていますが、母が亡くなった今も、この「私は大切な存在なんだ!」という安心感が、ずっと私を支えてくれています。
そして、私自身、二人の娘に恵まれ、育てていく中でも、この「あなたたちは大切な子だよ」という想いが、私の子育ての指針となっています。
私は、父母と違い、この想いを、しょっちゅう口にするタイプなので、娘たちは、「はいはい、お母さん、わかってるよ!」と辟易しているかもしれませんね。でも、近い未来、娘たちが子どもを持った時、きっと同じように、我が子に伝えていくのだろうなぁと思います。

それでは、東京の堀さんにバトンを渡します。さぁ、次回はどんなお話かな? 楽しみです。

愛知県/児島まなみ 





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