ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい


先週の植松さんのブログでの描写で、年度替わりのわずか1か月の間に、
大人の関わり方や準備する環境で次第で、子どもってこんなにも成長するんだ〜!というのを、
まるでドラマを観ているように受け取ることができました。

群馬の渡辺照子です。
その昔、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」というハムのコマーシャルの言葉が流行したことがありました。
私はこの「たくましさ」をわが子に求めてきたし、子どもが、22歳・19歳になった今も心の中で求めている気がします。
“たとへ困難さにぶち当たっても、簡単にへこたれるのではなく、逃げずに何とか打ち勝って前に進んで欲しい。”と。

もう二人とも大きくなったので、直接口では言わないようにしているものの、彼らの生き方の中に、「弱音」や「逃げ」を感じたとき、心の中で、“克服して〜! 逃げないで〜!”って思っている自分を発見してしまいます。

過去の子育てでは、この“克服して〜! 逃げないで〜!”が直接彼らへのプレッシャーとなっていたであろうことを、今振り返っています。

例えば、長女が小学5年生の時です。
“同学年のバレーボールチームメンバー二人に、いやなことをされる”ことを理由に、「練習に行かない」とか、「もうやめる」という彼女を、何とかいさめて、練習に行かせようとしたり、続けさせようとしたりしていました。
たとえやめるとしても、“逃げた”のではなく、“完了した”という思いが彼女の中に残るようにしたいと思って、立ち回っていました。

口先では、「やめたいんだね〜、やりたくないんだね〜、行きたくないんだね〜」と言って、
受け止めたとしても、心の底では、“なんとか頑張らせなければ!”と思っていたと思います。
子ども達は逃げ場がなくて、それが辛かっただろうとも思い返します。

そういえば、こんなことを思い出しました。
息子が幼稚園から続けていたスイミングを小学校5年になった時、休みがちになりました。
当時通っていたスイミングクラブでは「くろぼー」といわれる黒の帽子をかぶって泳ぐ最終クラスで、練習内容も大変になってきていたようでした。

“小学校6年までは続けさせたい”という思いがありました。それでなんとか行かせようとしたところ、息子はこう答えました。
「もともと自分が行きたくて始めたんじゃない。お母さんに行かせられた!」と。
こちらとしては、内心、「年中の時から続けてきたくせに、今頃になって何言ってんの!?!?」と思いましたが、もうどうにもならないと思って半ばあきらめ放っておきました。

そんなある日、スイミングのコーチから電話がかかってきました。
「息子さん、この頃練習に来ていませんが、どうしたんでしょうか? 本人と話させてください」
しばらくコーチと話して本人は、“来週からまた行く”ってことになったようです。
その日以来、行くことを渋ることもなく、小学校を卒業するまで続け、やり遂げたのでした。
コーチは息子に、“自分で考えて決める”という機会を与えてくれたのだと思います。

私が我が子に求める“たくましさ”は子ども達には重かろうと思います。
どうせなら、“たくましくあれ! たくましくあれ!”とするよりも、
小5時の息子の話のように、“自分が選ぶ”とか、“好きだから・やりたいから”など、主体性を本人が持てるような関わりをする方が、たとえ結果的に起こる事柄は同じだとしても、子ども達や私自身に残るものの質が違ってくる気がします。

なので、これからは、我が子たちの主体性を、心の中から本当に応援する関わりを
“いいかげんに”やっていきたいと思います。

さて、バトンを東京のくりちゃんに。
くりちゃん、は〜い!

群馬県/渡辺照子 





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