ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

子どもの心


群馬の照子さん、バトン受け取りました!
東京の加藤くりです。
習い事でも何でも、そして子どもでも大人であっても、「自分で決めたこと」には一所懸命取り組むものなのですね。

それで思い出したお話を1つ。
福岡の公立小学校に働く香葉村真由美(かばむらまゆみ)先生から聞いた体験談です。

真由美先生は「女金八先生」の異名を持つ名物先生で、不登校やいじめの問題を抱えるクラスを任されると1年担任する間に子どもたちから「やる気」と「思いやり」を引き出し、絆強く互いに夢を語り合い応援し合う見事なクラスに変えてしまいます。
県内外で評判となり、教育誌の執筆や講演、先生を育てるプロジェクトなどにも引っ張りだこ。

そんな真由美先生が2年生の一年間を受け持った後、異動となりお別れしたクラスの子どもたちの話です。
ある男の子が少し荒れ気味になり、クラスの皆で「そうだ! 真由美先生に会いに行こうよ!」と話が持ち上がりました。
子ども達は真由美先生から、「やれば出来る!」「絶対出来る!」「わたしは出来る!」と教わっていたのです。

それから子ども達だけの話し合いが始まります。
子ども達は手分けして、親とも交渉します。
クラス全員で真由美先生が働く学校へ行くには、車が何台必要か?
出して貰える車と何人乗りかを数え、誰と誰が誰のお母さんの車に乗るかの「配車」まで子ども達が全部決めました。

真由美先生に会いたい! そして、真由美先生を驚かせたい!
小学3年生の子どもたちの発想力、企画力、行動力、交渉力、本当にスゴいなと思いました。

真由美先生の元にはお母さんたちから、秘密のメールにより刻々と子ども達の様子が伝わります。
いよいよ、決行の日。
真由美先生はドキドキしながら、その「時」を待ちました。

お母さんたちが運転する車が何台も連なって、校庭に入って来た瞬間は忘れ得ぬ光景だったでしょうね。

真由美先生は言ったそうです。
「みんな、もし先生が今日、学校にいなかったらどうするつもりだったん?」
すると子どもたちは
「だって先生、やる!と決めたら絶対出来る!って教えてくれたでしょ」と。

このお話は真由美先生の話された沢山の体験談の、ほんの一部です。
真由美先生がなぜ、こんなにも子ども達から慕われるのか? 
なぜ、真由美先生に出会った子どもがガラッと変わってしまうのか?
それは、真由美先生が徹底して「子どもの心」に寄り添うからだと思いました。

真由美先生は、目の前の子どもの言動そのものではなく、その背後にある子どもが自分でも制御出来ない「心」をジッと見つめます。

例えば、とても乱暴者の男の子○○君がクラスメイトを後ろから攻撃しました。
真由美先生がその子を押さえつけると、彼は「何をする!」とにらんで来ます。
「先生は、○○が好きなんよ! 好きだから、○○がやった事を許さん! これから、先生と一緒に○○の悪いところ、直していこう。お父さんには言わないから」
すると彼は、
「本当に、お父さんに言わない?」
「言わない」
真由美先生の言葉に泣き出したそうです。
お父さんからよく体罰を受けていたから、自分も回りのお友達につい暴力を奮ってしまったんでしょうね。

真由美先生のクラスでは昼にお箸を忘れた場合、罰として真由美先生の肩叩きをすることになっていました。
その乱暴者の男の子は、毎日お箸を忘れて来ました。
毎日、真由美先生の肩を叩きながら「あんな、うちの父ちゃんな、本当に怖いんやで」とか、沢山お話してくれたそうです。

真由美先生は後日、男の子のお母さんから「私は毎日、息子のカバンに箸を入れてますよ」と聞かされます。
そう、彼は真由美先生の肩を叩きながらお話しする時間が欲しくて、毎日箸を「忘れた」事にしていたのです。

他にも色んな子ども達の話を聞きました。
どの話も、「子どもが自分で表現できない『本心』に、大人が寄り添ってあげなきゃいけないな」と気付かされるものばかり。
私の子ども時代、心に寄り添ってくれた先生っていたかな? と思い返してみました。

小学校3〜4年生のある日、風邪か何かで休んでいた私が復活して学校へ行った時のこと。
班替えしたばかりだった為、各班ごとにメンバーの似顔絵とプロフィールを書いた紙が壁に貼り出されていました。

私が休みだったため、班の仲間が私の分も書いてくれた様ですが…内容があんまりでした!
特技に「ゴリラの顔真似をすること」とあり、似顔絵はおでこに横向き三本線のシワ、鼻の穴はそれこそゴリラ並みに広がってます!
確かに根拠はあって、よくお友だちを笑わそうとそんな顔をして見せていました(笑)。
しかし、あくまで笑わせる為にライブでやるものであって、壁に掲示されるためにした顔ではありません!
とてもショックだった私は、明らかにその似顔絵ばかり見上げておりました。
すると、私が当時チョビッと憧れていた若くて美人な担任が私の様子に気づいてくれたんです。

班長はじめ、班の仲間に、これはお休みしていた加藤さんがイヤだろうから取り替える様に。と指示を出してくれました。
おちゃらけキャラではあったケド、ハッキリと「これはイヤです」なんて主張は出来なかった当時の私にとって、この時の「救いの手」は本当に嬉しいものでした。

小さなことであっても、子どもが自分から伝えられない本心を理解してくれる大人の存在って有難いものですね。

そして、対象が大人であっても、見えない「心」を理解する努力は必要だなと思います。
真由美先生の数々の体験談を胸に刻んで、人と接する時のヒントにしていきたいです。

それでは、バトンを兵庫のはせなかりえさんにお渡しします!!

東京都/加藤くり 





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