ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

母さんは、もうキレない


こんにちは。東京の佐藤です。島さんのメルマガ、ドキドキしながら拝読しました。お嬢さん、ご無事で何より。どんなことがあろうと我が子を信頼する親でありたいという最後の一文に、とても共感しました。
私もつい先日、息子をもっと信頼しようという思いに至ったからです。

3年生になった息子はいつの間にか、できることが爆発的に増えました。日常会話では語彙の数も増え、学校で習った漢字のおかげで新聞や本などで得る知識も広がり、楽しくて仕方がない様子。また得意な自然科学の体験は厚みを増して、外出先で出会う雲や虫、草木などを観察する息子の姿に、今を夢中で生きることとはこういうことなのかと、改めて教えられます。

そんなかけがえのない時を息子と共有することができて幸せだと実感する一方で、少しずつ心理的にも成長し、刻々と変化していく息子に、ついていけない自分がいます。
とくに最近は息子が親に対して反抗的な態度をとることが増えてきて、その度に変われない自分自身に苛立ちを感じることが多くなりました。

例えば日常の些細なことなのですが、脱いだ靴下がリビングに丸まっているのを指摘すると「別にいいじゃん」。遊んだ後の片付けを促せば「面倒くさい」。宿題はいつやるのと聞けば「今日はやらなーい」と言い放つ始末。とはいえ最終的には渋々やるのですが、その度にお互いが感情的になるせいか、親子ともに心が疲弊していきます。

前はこんなんじゃなかった。聞き分けが良かった息子はどこに行ってしまったんだろう‥‥

変わっていく息子に戸惑いと、今まで通りの私で息子と向かい合っていてはやがて行き詰まると焦りを感じ、先日、自分を省みました。
確かに最近の私は口うるさくなっていました。反抗的な態度を取られると、余計に強く言わないと息子が行動しないような気がして、悪循環になっていたのです。
日頃から彼に対しての言い方は、指示語にならないようには心がけてはいましたが、感情的になると惰性で言葉が口をついて後の祭りです。そしていつも同じパターンに陥っていました。

このまま繰り返していてはいいはずがない。
私が変わらなければ、息子はもちろん変わらないし、自分を変えられるのは自分しかいない。
冷静になると見えてきたのは、私は息子の人生に首を突っ込みすぎているという現実でした。
勉強をしないことで困るのは私ではなく、息子本人です。彼のやるべき課題に関して私が口を出してしまうのは、無意識に息子をコントロールしたい欲求があるからだと気付きました。私のエゴが、息子から課題に対する責任を取る機会を奪っているのだとしたら、これは大変なことです。彼にしてみたら、親とはいえ自分の人生に勝手に踏み込まれているのですから、本能的に反発するのも当然です。
息子の人生は、私のものではない。
ではどうしたらいいのか。
浮かんだのは、我が子を無条件に信頼しようということでした。

私はさっそく息子が学校から帰っておやつを食べている時に「これから作戦会議しよう」と声をかけ、A4サイズのホワイトボードを出しました。
息子はおやつを食べる手を止めて、「なんの作戦会議?俺が書きたい!」と、早速ペンを握りました。
私は大真面目な顔で「作戦は、どうしたらお互いがイライラしないで任務を遂行できるか」と言うと、息子の目に力がみなぎるのを感じました。
彼が大好きなアニメ、『名探偵コナン』さながらの会話にすれば、きっと乗ってくるだろうという思惑通りでした。

「任務遂行」の意味を説明すると、息子は面白がりながら、学校から帰宅後の自分の「任務」を思い出しながら、おやつ、宿題、漢字、計算、晩ご飯の準備‥‥と順に書きました。そしてそれらをいつやるのか、大まかな時間を本人に決めてもらい、私は見守ることに徹すること、でもやる気が出ない時や、出来そうにない時はいつでも相談に乗ることを約束しました。
「でさ、ママの任務はなんなの?」
息子にそう聞かれて、
「あなたに口出ししないこと」と返すと、
「そりゃ無理かもね〜」と息子は笑いました。
ホワイトボードは見えるところに掛け、毎日確認することにして、作戦会議は終了しました。

その週末、子どもが通う学習塾の先生から、先月の授業で書いた息子の作文がとても良かったので、今月の保護者のお便りに掲載したとの報告を受けました。
「お子さんの作文読んでも怒らないでくださいね。愛があるんですよ」
と先生に笑顔で言われ、さっそく読もうと目に飛び込んだ題名に、顔が引きつりました。

「母さんのキレる時」

母さんのキレる時は、僕が母さんに言われたことをしない時と、ゴロゴロ寝ている時です。
母さんのキレる顔は悪夢のようなこわい顔です。僕はその顔を見ただけで
「こえ〜〜」と思います。
でも本当は、なんでもしてくれるやさしい母さんです。

作戦会議をする以前の、まだ私が口うるさかった時期に息子が綴った、たった数行の作文でした。
でもそこには、至らない母親を無条件で受け入れてくれている息子がいました。
そんな彼に、私はまた深い感謝の思いが溢れたのでした。

それでは次回は愛知の児島さん、よろしくお願いします。

東京/佐藤英子 







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