ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

父の愛


神奈川の森屋です。

田中さんの「できない」を「できる」に…は、まさに今、仕事やプライベートで、できない理由を探している私に、刺激を与えてくれました。目標に向けて努力する気持ちを見習いたいと思います。

そして、遥か昔、成人式の振り袖を母と買いに行った日のことを、思い出しました。一目惚れをした振り袖を、「気に入ったのなら」と、何も言わずに買ってくれた母。その時の感謝の気持ちが蘇りました。
母には、思春期の頃から反抗ばかりしていましたが、私も出産を経験し、ふたりの母親となってからは、こうして昔を振り返って思い出すのは、母のことばかりでした。

少し前までは、「母のことばかりを思い出している」ことにも気が付きませんでしたが、先日父が入院することになり、父のことを振り返る時間がたくさんできました。

15年程前、心筋梗塞を患い入院した時は、「これで禁煙できるね、良かった良かった!」と家族皆で喜び、それほど心配や不安はありませんでした。大好きだった煙草を諦めて、父も元気になり、妹の子どもを含めて、6人の孫の保育園や学童の送迎を、頑張ってくれていました。
父も母も、いつまでも元気でいると信じていました。

でも、80歳を目前にした、今回の父の入院は、私を不安な気持ちにさせました。
ベッドの上の父は弱々しく、「こんなに小さかった?」と思うくらい頼りない姿に、掛ける言葉を探しながらも、出てきたのは涙でした。しばらく入院すれば帰ることができるのに、何で私は泣いているんだろう?

幸いにも、病院は私の職場に近い所にあり、お昼休みは父のところへ行くことにしました。
父とふたりのランチタイムは、特に話すこともなく、ただ同じ時間を過ごすだけでしたが、その数十分の間、父のことばかり振り返っている自分に気が付きました。

時折、父が口にするのは、「今日は○○がピアノだから迎えに行ってやれよ」「○○は学童行ってるのか」と、孫の心配ばかり。
ある日は、「今から昼御飯か、何かあったのか?」と、いつもより遅い私のランチタイムを、気に止めてくれました。

そうだ、子どもの頃から、父はこんなふうに、静かに私達を見守り、何か頼みごとを言えば、その通りに動いてくれていた。それが当たり前になっていて、改めて感謝を表すこともなかった自分に、気が付いたのです。
入院初日の涙は、今まで父に感謝を表していなかった、後悔だったのだと思います。

今、私ができることは、母の負担を減らすために、洗濯物を持ち帰り、新しいパジャマを運び、父の様子を母に知らせ…
そんな日々を数日過ごしたある日、
「なんだ、ストロー買ってきちゃったのか、お母さんに持ってくるようにメールしたのに」

あ、しまった、お父さんは、お母さんが来るのを待ってたんだ!
「やだ、ごめんね、余計なことしちゃったね、このストローはもって帰るよ」
と、笑いながら病室を後にしました。

結婚して50年経っても、父が母を愛している気持ちに触れ、嬉しくなった私の役目は、メッセンジャーに変わりました。
「お父さんが、お母さんのこと待ってるよ」と、母に伝え、父にはその時の嬉しそうな母の表情を伝え、そして母には、「半袖のパジャマが欲しいって言ってるよ」と、電話をしました。

そんなことを繰り返し、両親の嬉しそうな顔を楽しんでいる私に、「今日は疲れたから行かないって、お母さんからメールがきたよ」と、笑いながら父が言いました。
「私が仕事終わったらパジャマ持ってくるよ」と言うと、「来るから大丈夫だ」と、余裕の表情で、母が来ることを信じている父。そして、父の言うとおり、行かないと言いながら、父を見舞う母がいました。
素直に、お互いの気持ちを表さなくとも、しっかりと心は繋がっている両親を見ることができ、とても幸せな気持ちになりました。
50歳を過ぎても、私はずっとこの両親の子ども…
子どもって、こういうものなんだなぁ…

さて、私たち夫婦は、子どもたちにどう思われているかな?
少し意識して、夫婦の気持ちを伝え合おうと思います。

では、櫻井さんにバトンタッチ!
よろしくお願いします。

神奈川県 /森屋弘美 





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