母
神奈川の森屋です。
田中さんの「メッセージを受け取る」から感じたまま、今の私へのメッセージは何かを考え、受け取ることができました。
今年の4月、「父の愛」と題して、父が入院した時に感じた両親のことを、このブログに投稿しました。
父を見舞うたびに、「親を大事にしなさい」というメッセージだと感じていました。
出産後も仕事を続ける事ができたのは、両親が全面的に協力してくれたおかげだけど、いつまでも甘えてはいられないな。
そう思った父の入院から1ヶ月後、初めて人間ドックを受けた母が、すい臓がんの疑いとの診断。
私へのメッセージは、決定的なものになりました。
母は、私を産んでから、全ての愛を注ぎ育ててくれました。
二人の妹が羨むほど、私は愛されていたはずなのに、高校卒業後の進路を決める頃、「私はお母さんみたいな母親にはならない!」と言って、母を傷つけました。
母は、私の幸せを願って将来のことを考えてくれましたが、「私にも考えていることがある」と、意地を張っていたのです。
それからの母は、私が決めることは否定せず進ませてくれましたが、親子関係は良くありませんでした。
「頑張ったね」「大変だったね」その一言が欲しくて、日々あった話をしても、返ってくる言葉は「それはあなたが悪い」「もっとこうすれば良かったのに」でした。
「そんなことを聞きたくて話してるんじゃない!」と喧嘩で終わることが度々でした。
「私の言うことを聞いていれば大丈夫」と言う母に逆らった私は、「母に愛されていない。」と感じるようになり、子どもの頃の記憶も全て、「愛されていなかった」と塗り替えてしまったのです。
それでも私は、誰よりも母に理解してもらいたい、寄り添ってもらいたいと願っていました。
母が大好きだったから。
母との心のすれ違いを残したまま、いよいよ私も親になり、どれだけ母を傷つけてしまったのかを知りました。
勇気を出して、謝ったこともありましたが、母の心の傷は深いものでした。
それでも、孫の誕生を喜び、今まで一緒に育ててくれ、子どもの成長と共に、母と私の間で笑顔が増えました。
これ以上、母との関係にこだわらなくても、このくらいでいいかな、そんなふうに思い始めた時でした。
「私、がんかもしれない」
普段は、家族の全てのことに気を回し、一番しっかりしているはずの母が、弱々しい姿で座っていました。「母に寄り添いたい」。初めて、そう思いました。
病院を4か所まわり、診断はすい臓がんではありませんでしたが、安心できるものでもなく、手術の必要の有無について、医師の診断が別れました。
何度も母と話し合い、母の気持ちを聞き、母の考えを尊重した結果、手術はせず、3ヶ月に一度の検診に付き添うことを決めました。
やっと母と向き合うことが、自然にできるようになったと感じた先日のこと。
仕事の話をした私に
「あなたも大変だね。頑張って」
と、母が言ってくれました。
ずっと待っていた、この一言。
ありがとう、お母さん。
田中さんからのバトンで、一番書きたかった母のことを書くことができました。
次回にバトンを渡します。
よろしくお願いします!
神奈川県/森屋弘美
2018年10月15日(月)
No.376
(日記)