ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

命をいただく


初めてリレーブログに参加させていただきます、兵庫県の名和です。
森屋さんのブログ「心を語るマッサージ」を読み、マッサージをきっかけに親子のかけがえない「場」ができたこと、素敵だな…と思いました。

我が家にもちょっと特別な「場」があります。そこは、私の部屋のベッドの上。22歳の娘がたまに訪ねて来てちょこんと座り…そこでは、普段しないような会話をすることがあるのです。

今回は、私が話を切り出しました。なぜなら、私の心が、あるテレビ番組の内容でザワザワしていたからです。
心に痛みや葛藤を感じるとき、私はその状態に「不安」「怒り」「悲しみ」などの感情を表す名詞を当てはめたり、それでも処理しきれないものは「モヤモヤ」「ザワザワ」「チクチク」…などの擬態語で「名前」をつけて、受け取って、眺めてみることがあります。そうすることで、その原因を確かめられるかもしれないからです。

私:「テレビで、酪農家を訪れた俳優が、家畜のニワトリを捕まえて絞めるところに立ち合い、捌くのを手伝ってその家族と一緒にいただく、という番組が放送されてたの。みんなで食べるときの俳優の<いただきます>が、重く深く響いて聞こえたわ。
実は都会の小学校でも、こういう体験授業をしている学校があるらしいの。まず、ニワトリと触れ合うところから始めて…。
私が子どもだったら、逃げ出したくなると思う。ペットを飼ってて愛情を注いでたりしたら、なおさらそう思うんじゃないかな? どう思う?」
娘:「うーん。私は、その体験授業を受けた子どもたちが、ちょっと羨ましい気がする」

私とは違う考えに、興味を持ちました。そこでその理由を聞いてみると、

娘:「私って、けっこう食べ物の好き嫌いがあるし、当たり前のように提供される食材を粗末にしているように思うの。改めて、大事に食べようと思うきっかけになると思うわ」
私:「なるほどね。確かに体験授業でも、そこを ねらっているのだと思う。でもね…私が子どもだったら、これは、無理だわ。残酷な気がして心が痛くてたまらなくなると思う。ペットを飼ってて愛情を注いでたりしたら、なおさら、そう思うんじゃないかな?」

動物への愛情を抱く子どもは少なくありません。そのため、体験授業を受けることで、<命をいただくありがたさ>よりも<殺される命への痛みと悲しみ>の方が勝ってしまうのではないか、ひいては、そういう仕事をする酪農家への抵抗感が生まれたりはしないか…? それが今回の「ザワザワ」の原因でした。
すると娘が、ペットと家畜とでは<役目>が違うという、新たな視点をくれたのです。

娘:「ニワトリは、お肉…つまり、食材として人間に供給されるもので、ペットは、人間の心の相棒として人間と共に暮らすもの」
私:「なるほど。じゃあ、食材としてのニワトリには、愛情を注いだりしないものなのかな?」
娘:「いやいや、愛情を注がないなんて、酪農家さんに失礼じゃない? ただ、ペットに注ぐ愛情とは何かが違う。何だろう…? あっ、商品愛? 日本一おいしいお肉にするぞ!!みたいな」
私:「ああ! それなら、わかる。餌も工夫して、環境も整えて。日本一おいしいお肉を創るための、商品愛かぁ」
娘:「ペットにも餌や環境を工夫するけど、目的が違うよね。家畜は最初から<お肉にするため>に育てるのだから」
私:「そこだね、体験授業を受ける子どもたちに明確にしなきゃならないところは。<いただくことを前提に育てる家畜への愛情>と<家族の一員であるペットへの愛情>のちがい。そのためには、酪農家さんに、日々、どんな思いで、どのようにニワトリを育てているか…を見学させてもらう必要があるかもしれないね。そのちがいをベースにした上で<命をいただく>。それなら、最高のお肉として育てられた命と、最高のお肉を創るために尽力した酪農家さんに感謝して、いただけるわ。私は。でも、それでも無理な子って、いないかな?」
娘:「いるよね、きっと。そこは<選択>がいいんじゃないかしら? その子には、命をいただくということについて学ぶ、また別のアプローチがあるんじゃないかな」

ベッドの上で、娘の考えを否定せず、ただただ受け止めて聞いていくうちに、<いただくことを前提に育てる家畜への愛情>と<家族の一員であるペットへの愛情>の区別もでき、心のざわめきが収まりました。
スーパーでお肉を買う時にふと立ち止まり、「この命をおいしく料理させていただこう」と思う今日この頃です。

次回は、東京の上村さんへバトンをつなぎます。
どんなお話をして下さるのでしょうか。心待ちにしています。

兵庫県/名和めぐみ 





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