ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

「聴く」


明けましておめでとうございます!
リレーブログの仲間入りをさせていただきました五十君朋子です。

來山さんの、「息子は息子のままで」を読んで、ありのままの息子さんを受け入れ応援していくことの大切さを改めて感じました。まず、相手を受け入れるためには、じっくりと心を開いて「聴く」姿勢が必要だなぁと思いました。

最近、ある方から「聴く」という漢字は「耳+目と心」でできていると聞きました。私は今まで、相手の目を見て話を聞こうと心掛けているつもりでしたが、そもそも「聴く」とは、相手の音声を拾うということだけではなく、相手の心を聴こう、理解しようとする行為なんだということを知り、とてもハッとしました。

それを聞いた日に、年中の娘が幼稚園から帰ってきて膝にのってきました。私は、娘の声だけではなく心を聴くってどういうことかなぁ、今こそ心を聴いてみようと思い抱っこしていました。
それまでの私なら、しっかりと聞こうとすると、目を見て娘の口から発せられる言葉の一字一句に向き合っていた様な感覚がありました。
心を聴こうとすると、「あぁこんな表情をしてこの身体全部でこんなに一生懸命伝えてくれようとしてるんだなぁ」とか、「楽しかったんだろうなぁ」、「それはきっと悲しかったんだろうなぁ」などと、言葉としては出ていないことも娘のふわっとした重みとともにまるごと感じられ、娘がより一層愛おしく感じられ、娘の存在そのものを受け入れている感覚になりました。
その時、「昨日、お母さん、氷の時、怖かったー」と、抱っこされていた娘が突然反り返って上を向きながら大きな声で言い出しました。

その前日、娘が冷凍庫から氷を出した時に、床に落としてしまったままの氷について、どうしてそのままにしたのか聞くと、自分はやってないと言いはる出来事がありました。
私はその氷について何も叱ろうとしていたわけではなく、ただ落としっ放しの状態について娘と話したいと思っただけだったのです。私は「何のために氷出したの〜?」と明るく問いかけたつもりでしたが、娘の口から出る音声をじっと待つという姿勢に、きっと彼女は圧力を感じ、心を開けず、自分はやってないと防衛したんだと思います。

一方、この日の私は、娘の心も聴こうと思って抱っこしていたので、娘もポロッとその時の本当の気持ちを言えたのではないかと思います。
我が家の習慣で、オレンジジュースは親に聞いてから飲むことにしていますが、前日は氷をお気に入りのグラスに入れてこっそり飲もうとしていたところに、私が突然現れたので、びっくりして慌てて床に落としてしまったのだそうです。
娘にそう言われた私は、「ごめんね〜、昨日のお母さん本当にこわかったよね〜、本当にごめんね〜!」と謝りました。そして、娘がそうやって前日の気持ちを吐露してくれて、正直とても救われたと思いました。前日の話の終わり方が自分でもしっくりきていなく、どうしたらその話をよりよい方法で話せるのかなぁと考えていたからです。
私が謝ると、娘は、「いいよー!仲直りの時はいっせいのーでーで、ごめんねって言うんやで!」と言い、お互いに謝ることができました。

この出来事の後、「聴く」ということを心がけるようになりました。すると、言葉にあらわれない娘の気持ちも以前より一層理解できるようになり、娘もお母さんはわかってくれてるんだ!という様な表情をすることが増えました。

2019年は、この「聴く」を心掛けていきたいです。それによってどんな一年になるか、とても楽しみです!

次は楠野裕子さんにバトンを渡します。

兵庫県/五十君朋子 






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