ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

サザンカの花の想い出


次のバトンを受け取りました、楠野裕子です。
五十君朋子さんのブログを読んで、お正月休み、新たな心で「聴く」を意識することで、いつもより穏やかに丁寧に子どもたちと向き合う時間を過ごすことが出来ました。

さて、今日は成人の日。我が家の長女も20歳を迎えました。
彼女を四文字熟語で例えると、自由奔放、天真爛漫。まるで小さな竜巻のように家族のモヤモヤを一掃して我が家をパッと晴れやかにしてくれるムードメーカー。今まで私に数知れずの気づきをくれた娘です。

この季節サザンカの紅色の花を目にすると、一歳のあの時の彼女の笑顔を脳裏いっぱいに思い出します。

彼女が誕生した20年前、私はいわゆるバリバリのキャリアウーマンで、当時は結婚したら会社を辞めるのが当たり前だった時代。ロールモデルがいない中、営業職として初めて産育休を取ることになりました。
いよいよ出産。今までの人生で一番の達成感と喜びに包まれたのもつかの間、仕事のように計画どおり進まない子育てに戸惑う毎日。仕事復帰後はさらにその状況は拍車。馬車馬のように動いているのに、仕事も家事も何一つ完璧に仕上がらない苛立ち。押し寄せる働く女性のお手本にならなきゃならないという義務感。なのにその理想の姿が見出せない焦りと不安から来るイライラは募るばかりでした。

後から振り返れば、計画通りに進むはずのない子どもとの時間を仕事と同じ枠にはめて、その枠から外れる事にイライラしていた訳なのですが。

そんな私の思考を根っこから壊してくれたのは、他でもない娘でした。

朝保育園へ向かう道、いつものように急ぎ足でベビーカーを押していると、娘が歩きたいとぐずり出しました。あーここで下ろしたら、遅刻の可能性ありだわ、ぜったいムリ!でも娘は諦めずどうしても歩きたいとぐずるので、隙あればベビーカーに押し込んで連れて行けばいいか…半ばどうにでもなれ!と腹をくくり、下ろすと、歩き出した娘が、道の角に散らばっているサザンカの鮮やかな紅色の花びらを拾い集め始めました。あれ?サザンカが咲いていたんだ。見渡すと、こっちの家からもあっちの家からも、サザンカの木の枝が沿道に少しはみ出し、開花シーズン真っ盛りの様相。まだ地面に落ちて間もない花びらが色鮮やかに絨毯のように散らばっていました。川沿いの古い住宅街、せせらぎの音、高く青い空、透き通った空気。

ああ、毎日通っている道なのに全く気づいていなかなかったなぁ。サザンカの花に目を戻すと、そのみずみずしい紅色がパッと私の中に広がりました。その瞬間せかせかとどうでもいいものいっぱい詰め込んだ心にスッと風が通り抜けました。ママ〜と両手いっぱいの花びらを持って、満面の笑みで駆け寄ってきた娘の、その花に負けないくらい無垢で鮮やかな笑顔を見たとき、ああ、こんなにステキな表情をする子だったんだ。毎日すぐ目の前にあったのに何で気づいていなかったんだろう。今の素直な心に従っていいのなら、この笑顔を受け止めたい!突き動かされるように、エイ!と両手に抱え込んでいたもの、背中に背負い込んでいたことを一気に手離しました。

わー綺麗だね〜ママも集めよう!
携帯電話を取り出して上司に、とても重要な用事ができたので遅刻しますと伝えると、時間を忘れて気の済むまで2人で花びら集めを楽しみました。

一番大切なものを大切にする。ごくごく当たり前のことをしていなかった。だから心にも身体にもムリがかかっていたということに気づかせてもらった出来事でした。

がんばっている私と言うこと聞いてくれない娘。この時までキュッと狭くなっていた私の視野にはそれしか見えていなかった。でももうこの時が限界だった。「今を変えたい」そのきっかけを私自身がずっと求めていたのかも知れません。

日常も周りも何も変わらなかったけれど、私自身に選択する基準が出来、心が定まった事で迷う時間がなくなり、手離しても良い事、いま選ぶべき事が見えるようになりました。

サザンカの花言葉は「困難に打ち勝つ、ひたむきさ」
この季節、サザンカの花を見ると、あの時の何でも完璧にこなさなければならないという義務感に押しつぶされそうになっていた、困難真っ只中の私に気づきをくれた、サザンカの花と娘に感謝するのです。

あなたにとって一番大切なものは何ですか?
私にとって一番大切なものは、目の前にいる人の笑顔です。

楠野裕子 





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