ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

受けとめ方、あれこれ


こんにちは、神奈川の松下です。
前週の楠野さんの、
仕事と子育て、両方をこなすことに精いっぱいの日々のなかで、
「一番大切なもの」に気付かせてくれた娘さんとサザンカの花のお話、
まるで自分のことのように、目頭が熱くなりました。

我が家でも仕事、家事と奔走しているなかでのことです。
小学6年生の娘から、
「ママって情が薄いよね」と突然言われました。

普段から娘に「大好きだよ〜」を連発している私は、少しびっくりして、
それってどういう意味?と聞くと、
「例えば、机にぶつけたり、痛かったりしたことがあっても、
大抵あっそう?みたいな薄い反応で終わるから」だそう。
「大丈夫?とも言われないこともある」、とも。

その時は、「本当に痛そうだったりしたら、ちゃんと駆けつけるよ!」
と笑いながら返しましたが、
振り返ると私はあえて「薄い反応」をしているかも、と思い当たりました。

私が普段意識しているのは、
起きた出来事に「いい」とか「悪い」の解釈を加えないこと。
「ああ、そうだったのね」と一先ず受け止めて、
そこで娘が何を感じ、何をするか見守ろうとしていきました。
先に私の反射的な感情や判断を押しつけないように。

そういえば、まだ娘が低学年の頃、鉛筆削りの削りカスを
うっかりぶちまけてしまったことがありました。
娘はすぐ、ほうきとチリ取りを使って一人で片づけ始めました。
私はそれをちらりと横目で見ただけで、そのまま台所仕事を続けていたら、
一緒にいた娘のお友達が、驚いていたのを思い出しました。
お友達曰く、家だったら「何やってるの!」と怒られると言うのです。

私が思ったのは、
わざとやったわけではないし、すぐ自分で片づけて元通りにすればいい。
もちろん、ガラスが割れて危ないとか、手伝った方がよい場合は
手伝いますが、基本的には自分でやったことは自分で片をつけるよう、
不要な手出し口出しはしないように心がけてきました。

それが、「情が薄い」とか「大丈夫?という声掛けもない」という印象に繋がったのでしょうか。
例えば、削りカスを片付けた後、「一人で上手に片付けられたね、嬉しかったよ」等のひと言をかけていれば、そこから会話も始まったかもしれません。
一人っ子で寂しがり屋の娘にとって、もしかしたら、私の反応は物足りない時もあったのかな、とちょっぴり反省しました。

私はどちらかというと、面倒くさがり屋で「おおごと」にするよりは
何事もなかったかのように収めてしまいたい、と思いがちです。
特に余裕がない時、疲れている時は、何かあっても
「まあ大丈夫だろう」と心の中で終わらせてしまうことが、よくあります。

なので、「見守っている」と言いながら、
実際は向き合うのが面倒で「見てみないふり」をしたり、
「スルーしていた」のかもしれません。

嬉しかったこと、残念だったこと、大変だったこと、
娘が感じたことや出来事の一つ一つに、
共感する姿勢や言葉がけで持って、適切に反応する。
そこまで含めて、受け止めるということだったな、と思い直しました。
そうかといって過剰に反応するわけでもない、
そのちょうどよい塩梅をこれからも探して行こうと思います。

寒さが厳しい時期ですね。
長野さんはいかがお過ごしですか。

神奈川/松下いづみ 







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