ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

メッセージ


こんにちは。兵庫の五十君です。
先日、末娘が幼稚園へ行く際、いつもは車なのですが、今日は歩いて行きたいと言い出しました。雨が降っていたので、私は少し面倒に思い、「今日は車にしてまた晴れの日に歩いて行こっか?」と提案してみましたが、「レインコート着て傘さしたら大丈夫だよ!」との答えが返ってきました。

ハートフルコミュニケーションでの学びのなかで、「その時々に自分が意識し問い掛けていることは、あらゆる出来事から気づきを得る可能性がある」ということを理解してから、起こる出来事に対し、それは自分にとってどのような意味合いがあるのか、何らかの気づきとなるメッセージを発してくれているのではないか?とよく考えるようになりました。
この時も、これはきっと何かのメッセージかな?だとしたら、それが何かを探りにいきたいと思い、二人で歩いて行くことにしました。

道中、あっちで立ち止まりこっちで立ち止まりしながら、「どんぐりの帽子だけがこんなところに落ちてるー!」「あっちにきれいなお花見えるから、次は右に曲がろー!」など、娘の見たまま感じたままを、隣で歩きながら私も見聞きして感じることができる楽しさといったら! 何だかとても新鮮でした。
いつもと同じ朝の時間、何がこんなに新鮮なんだろう?と考えていたら、車で幼稚園に行く時は、安全に幼稚園に送り届けることが目的で、会話はしながらも私は前を向き運転に集中。歩きの場合は、安全には気を付けながらも、娘と一緒に同じ空気を感じながら歩を進め、娘が何を見て聞いてどう感じているかを隣でライブで楽しんでいる感覚でした。

この時、あ! これだ、メッセージ!と思いました。自分は子育てにおいて、性急に目的地に辿り着こうとしているところがまだまだあるなと。親が思う「こうあるべき」、親が思い描いている「理想」という目的地に。

実はその前の晩、上の兄弟が激しく喧嘩して中1の兄が4歳下の弟に怪我させてしまうということがありました。
その後、次からそうならないようにするにはどうすればよいかについて兄と話をしたつもりでした。結果的に、彼は「次から手を出さないためにはこうする」と親の私たちが期待していることを言ってきました。
私が話し合いだと思っていた会話は、兄の言葉は聞きながらも、親は運転席で前を向き、「次からそうならいようにするにはどうしたらよいか」という私が望む目的地へ性急に送り届けようとしていただけだったんじゃないかと思ったのです。
話し合いのつもりだったその会話には、一緒に歩を進めながら、彼が今何を見聞きしていてどう感じているかを隣でおおらかに感じる、この朝の徒歩通園のような感覚は全くありませんでした。むしろ、最短距離で早く私が目指す目的地につきたい!という自分の焦りを感じながら、無理やり安全運転安全運転と自分に言い聞かせているようなおかしな感覚でした。
私はこの時の彼への接し方について、あれでよかったのかな‥何か違うな‥と娘が幼稚園準備をしている時も気にかかっていたので、その朝の徒歩通園の出来事が自分へのメッセージと受け取ったのかもしれません。

ハートフルコミュニケーションで、子どもが行きたい目的地へと伴走するコーチとしての親のあり方を学び、自分もそうありたいと強く思いました。
今回のメッセージで、自分を振り返り、親が思う目的地へ最短距離で到着する、ではなく、時にはまわり道、寄り道もしながら、共に歩を進めながら今こどもが何を見て聞いてどう感じているかを理解し、こどもが目指す目的地へと伴走できる親でありたいと改めて感じました。そして、自分自身についても、自分が親としてありたい姿という目的地へ最短距離で行きたいと焦るのではなく、隣でもう一人の自分に伴走してもらい、今ここをおおらかに味わいながら、成長していきたいです!

兵庫県/五十君朋子 







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