ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

さあ、やらな!


森屋さんから襷を受け取りました兵庫県の名和です。

桜が散って新芽が伸びるこの季節が来る度、私は不安に駆られました。娘の「起立性調節障害」が悪化する時期だからです。急に夏が来たかのように気温が急上昇すると、自律神経が不具合をきたすのです。

小学6年生の頃から朝起きが苦手になってきた娘は、なんとなく冴えない体調をかかえながら地元の中学校へ進学しました。それから間もない4月下旬、朝、ベッドの上で吐き気と頭痛に苦しむ娘がいました。
唇に色は無く、起き上がることさえ出来ず、か細い声で「お母さん、3時間目から学校に行くと電話して・・・」と。「わかった、電話するわ」。
そして、私は仕事へ向かい、午後4時頃に帰宅すると、彼女は私服のまま机に向かって漫画を描いている。何とも言えない不安と焦りと情けなさ・・・。
そんな私の表情を読み取ってか、「学校へは行けなかった。ごめんなさい」と謝る娘。
その内にも状態は崖を転がり落ちるかのごとく悪化し、ついに、朝は深い深い眠りのなか、昼を過ぎてやっと起き出し、夕方から活動し始めるという昼夜逆転のリズムになっていきました。

診断名は「起立性調節障害」。今でこそメディアで取り上げられてメジャーになった病名ですが、当時は学校の先生でも、この病名を知りませんでした。薬を飲むも一向に良くならず、私の焦りはピークに達していました。
「これは本来の娘の姿ではない。娘はあんなに活発で賢い子だったのに。このままでは授業について行けなくなる。この先、どうなってしまうのだろう」。
過去への執着、未来への不安・・・。何とか復学させたいと焦るほどに、娘の病状は、悪化の一途をたどりました。

それから幾月もが流れ去ったある日、ポストに一冊の本がありました。本の題名は、菅原裕子著『子どもの心のコーチング』。一緒にPTA役員をした方がそっと入れて下さったのでした。
むさぼるように読んで、大阪での講演会に参加しました。そこで行われた「ピアノやめる、もう行かない」のワークで、なんとか娘を学校へ行かせようとしている自分の姿をみつけました。その場でハートフルコーチに声をかけ、セッションを依頼しました。

それからというもの、私は足繫くセッションに通いました。そこは、過去への執着や未来への不安に揺さぶられ、人からの評価や様々な情報に揺さぶられ、ダッチロール状態の私が「今、ここ」に座り直す場となりました。
そうすることで見えてきたのが「ありのままの娘」でした。
娘は長い間、復学を期待する親と葛藤し、理想とかけ離れていく自分に苦しんでいたのでしょう。
私は「あなたのまんまで、大好き!」と娘を抱きしめました。
その頃から、娘は自宅学習という形を選択し、時折訪ねてくれる友達と歓談し、穏やかに日々を過ごすようになりました。

ところが、起立性調節障害という病は、そうそう簡単には退散してくれませんでした。
高校、そして専門学校・・・仕切り直すべく新たなステージに立ち頑張りはじめる度に、血の気のない蝋人形のような娘が朝のベッドに横たわっている姿を目にすることになるのです。それは決まって急激に暑くなる4月下旬のことでした。
出鼻を挫かれ、何度もここで挫折してしまう娘を見るのはたいそう辛いものでした。そして、この季節が近づくと、悪夢の再来を恐れる私がいました。
私は、調べに調べて「統合医療内科」という病院を見つけ、ここでの治療に一縷の望みを託しました。「体を治して元気になってほしい」という私の切なる思いを受けて、娘は「お母さんのために、この治療を受ける」と、気乗りしないながらも通い始めました。
「娘の気持ちに寄り添っていない・・・。でも、これは病気のことだから、私の見識でリードしよう。これで、いい」と、私は自分に言い聞かせました。

医療用サプリメントによる治療を続けて約1年が経過した昨年末、娘から「治療を辞めたい」という申し出を受けました。理由は、治療費が高額なことと、ある程度まで体調が回復したことでした。
私は、大変不安に思いましたが、娘はもう大人。「あなたの思いを伝えて、主治医の判断を仰いでみてはどうかな」とだけ伝えました。
娘は「うん、そうする」と答えて受診した結果、主治医から「完治には至っていないけれど、日常生活に支障がないレベルに改善したとみて、今日で治療を終わりましょう。困ったら、いつでもいらっしゃい。」という回答を得ました。

それからというもの、娘は、処方された残りのサプリメントを飲まなくなりました。まだ完治していないのに、またぶりかえしたらどうしよう・・・悪夢の再来が脳裏をよぎり不安になった私は、度々、サプリメントを飲むよう促しました。すると娘から、「サプリメントのことは一切、言わないで。自分の体調は自分が一番よく分かっているから」と言われました。
私は、とても心配していることを娘に話しました。すると、「ここまで回復できたことを、先生に感謝してるし、私の体を案じて勧めてくれたお母さんに感謝してる。確かに、朝起きも未だ遅いし、体力もない。でも、そこは、お医者さんやサプリメントに頼らないアプローチに変えて、やってみようと思ってる」と。
これを聞いた私は、「そうね、わかった。言わない。」と腹をくくり、それから、一切、言わないようにしました。

そこから、娘は、動き始めました。
まず始めたのが<ラジオ体操>です。もう、かれこれ3か月、毎日欠かさず続けています。夜、時間になると、例の軽快なメロディーが流れトントンとジャンプする音が聞こえてきます。
私は、娘に聞いてみました。
「ラジオ体操、欠かさず続けてるよね。何が、あなたをそうさせるの?」
「お医者さんを辞めたことが大きいかな。自分で決めたから、自分の体に責任持たないとなぁーと思って。まずは<体力をつけたい>って思った」
「続けるために、何か工夫してることがあるの?」
「友達と、ネット上でラジオ体操チームを作って、スタンプカードも作って、お互い声を掛け合ってるよ。私は、見栄っ張りだから、こういうのが効くの」
「自分に合った方法を見つけたのね。がんばれ〜!」

この時、私は、晴れ晴れと「がんばれ〜!」の声が掛けられることに感動を覚えました。
今までは、頑張っては挫折を繰り返す娘に、もろ手を挙げて「がんばれ〜」とは言えませんでした。壊れてしまいそうで・・・。
そう、それは、まるで腫れ物に触るような感じでした。つまり、私は、娘に娘の人生を任せきれていなかった、言い換えるなら、娘を信じ切れていなかったのです。
私の声援を受けて、「うん、頑張るよ! 自分でも、よう頑張ってるなーと思うわ。あの、続かん私が3ヵ月やよ。さあ、やらな!と思うねん。私の場合は、<情けない自分>っていうマイナスの感情を認めたら、これじゃあかん、頑張ろう!と思える。私は大丈夫よ、って行動で示したい」と。
この言葉を聞いて、理想の姿からかけ離れている自分を人に見られたくないと思っていた状態から、等身大の自分をを認めて真っ直ぐに向き合っている状態に成長した娘を目の当たりにした私は、「大丈夫だ」と確信したのです。

娘はその後、ジム通いも始めました。
実は今、彼女は、咽頭痛から始まり、風邪の一連のの症状に見舞われています。そして、「仕方ない。明日のレッスンはキャンセルするわ」と。
それでも、私には安心感があります。また、この風邪を機に辞めてしまうのではないかという不安はありません。
その気持ちをそのまま娘に伝えてみました。すると娘がガラガラ声で清々しく言うのです。
「そう、風邪が治ったら、また、やるよ。精神的にはとても元気。体が、あと一息、休めと言ってるだけ」と。
時まさに4月下旬、気温が急上昇する季節がまた、やってきました。
転んでも、転んでも、「さあ、やらな!」と自ら動き始める娘が、今、ここにいます。

人は何歳になっても成長できる生き物だと、私は信じています。還暦手前のこの私も、こうして日々、成長させてもらっています。
埼玉の上村さんへ襷をつなぎます。どうぞよろしくお願いします。

兵庫県/名和めぐみ 





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