ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

学びの落とし穴


こんにちは。埼玉の上村です。
辛い思いや出来事も家族や友人に支えられ、自分と向き合いその先に進んだ名和さん。
自分の〈ひび〉も子どもたちの個性的な〈ひび〉も愛おしく思う名和さんの気持ちがすっと私の胸にしみ込んできました。

さて、今週は、ハートフルコミュニケーションを学び始めた頃のつまずきについて書きます。
今から10年前。自分の子育てに疑問を感じていた私は、長男が中学に上がる少し前に「ハートフルコーチ養成講座」に通い始めました。
コーチングを取り入れたプログラムで子どもの持っている力を引き出すという内容に触れ、それまでの私の指示命令が多い、子どもをコントロールしがちな子育てから抜け出したいと思いました。また、目の前のことにとらわれがちな私にとって、子どもの幸せな自立を目指した、少し先を見据える子育てというのが目から鱗。
そして何よりも学びを通して親自身が成長し、人生を充実したものにするという考え方に強く惹かれ、子どもに求めるのではなく、自分自身が変わることで子どもも私も幸せな未来が築けるのではないかと思いました。

ところが、受講を始めてしばらくすると、息子が朝なかなか起きてこないことが気になり始めました。部活の朝練があるため6時半には家を出なければならなかったのですが、何度声をかけても起きてこないのです。
『子どもの心のコーチング』の本には、「子どもが朝起きるのは子どもの仕事」と書いてあります。だから起こされる前に起きてくるべきだと息子に苛立ち、「何時だと思っているの? 自分で部活をやると決めたんだよね?  自分で決めたことはちゃんとやってよ!」と、起きてきたそばからきつい言葉を投げかけました。本に書いてあるようにうまく任せられない自分自身に対しても苛立ちました。このままではダメだという焦りが募っていきました。
思えばこのとき私はすでに「学びの落とし穴」に落ちていたのでした。

ピリピリとした空気の中、息子は無言で支度をして出かけていく。そんな日が続いたある朝、いつものように息子を急き立て、後ろ姿を見送った直後、
「うわあー!」「うおー!」という叫び声が静かな住宅街に響き渡り、私は凍りつきました。今のはなに? …数分後、彼から届いたメールには、

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい 殺してくれ!

画面いっぱいの「死にたい」の文字、「殺してくれ!」の悲痛な叫びが私の胸を刺しました。
すぐに電話をかけましたが出てくれません。今長男は電車のホームにいる! 私はバクバクする心臓とは裏腹に
「死にたいと思っちゃうくらい辛いんだね、苦しいんだね。気づいてあげられなくてごめんね。」と冷静に彼の気持ちを受け止め、寄り添っているふうなメッセージを送りました。
それが功を奏したのか息子は落ち着きを取り戻し、夕方には「朝はあんなメールを送ってごめんなさい」という返信が届き私は安堵しました。冷静に対処できた自分に、子育てを学んでいてよかった、役に立つ日がきた。そんなふうにも思っていました。

それから数日後の養成講座の日。私は一連の出来事を話しました。
「なんとか息子の気持ちを受け止められたと思います。学んだことが役に立ちました」とどこか誇らしい気持ちでいた私の耳に講師の菅原の声が届きました。
「でもお兄ちゃんは、すごーく頑張っているよね?」
その瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。
ガツン! ガツン! 彼はとても頑張っている! 小学校を卒業してまだ数カ月。1日も休まず泣き言も言わず、毎朝早く起き、重い鞄を背負いながら満員電車に揺られ、授業に宿題、初めての部活動に懸命に取り組んでいる。それなのに私は「頑張っているね」の一言さえ言ったことがなかった。頑張っていることを一度も認めたことがなかった…。
「お兄ちゃんは十分に自分で考えて行動しているよ。言い過ぎると追い詰めてしまう。あなたの仕事、あなたの責任だと確認してはだめ。これは「冷たさ」なのよ」と菅原の言葉は続きました。

子どもをコントロールしていた私自身を変えるために学び始めたはずが、いつの間にか「本に書かれているような”自分で起きる子”にすること」が目標にすり替わっていたことに気づきました。私は彼が変わることを求め、彼を変えることに躍起になっていたのでした。なぜなら、学んでからも日常には変化が見えず、焦りと不安が出てきたからです。「息子が自分で起きること」と「私の成長」を同一化して、息子が自分で起きてこないことを「私が成長していないせい」と受け止めてしまったのです。そしてその苛立ちを息子にぶつけて「自分の仕事は自分でしなさい!」と冷たく突き放していました。それは長男をただただ追い詰めるだけのものでした。
…学びの落とし穴に落ちた。そう思いました。
学んで成長していることを確かめたいあまりに、学び始めた目的を見失ってしまったのです。
なぜ学ぶのか、何のために学ぶのか、誰のために学ぶのか…それを見失い、落とし穴に落ちた私でしたが、この日、新たな気持ちでスタートラインに立つことができました。それもまたひとつの学びだったのだと思います。

思えば子どもが笑顔でいること、元気でいることはとても幸せなことです。私はそんなこともすっかり忘れていました。子どもの笑顔を奪ってまで私がやらせようとしていたことは一体なんだったのだろう? そこに思い至ったときストンと憑き物が取れたようでした。
私は次の日から、とにかく朝は笑顔で送り出そうと決めました。朝は相変わらず寝ぼけ眼でしゃっきりとは起きてきませんでしたが、「眠いよね」と彼の気持ちにできるだけ寄り添うようにしました。一日を気分よく始めること、「いってきます!」と元気な声を聞くことができればそれで充分。そんなふうに思うようになりました。
そして日常では、以前にも増して学校や部活での話に耳を傾けるようにしました。話を聴くことが日々の頑張りを認め、励ますことになると思ったからです。
長男は夏休みが明ける頃にはすっかり体力もつき、心身ともに頼もしくなっていきました。ああ、子どもの成長とはこんなに早いのか、あんなに焦ったり、不安になることはなかったんだなと、私はそのときほんの数か月前の出来事を振り返っていました。

それから数年して息子が高校生になった頃、あのときどんな気持ちだったのか聞いてみたことがありましたが、驚いたことに彼はメールを送ったことさえ覚えていませんでした。何年経っても私の心に棲み続けたあの出来事も、長男にとっては、懸命に過ごした日々の中の一コマにすぎなかったのだと思うと、ホッとするような、愛おしいような気持ちになります。それはあのとき私が抱いた息子に対する罪悪感が、小さなしこりになって残っていたからだと思います。それも彼の話を聞いたことで「子育ての思い出」に変わりました。

子育ては長い道のりです。ときには失敗もあります。だからこそそこに成長もあるのだと思い、私は今も学び続けています。ときには落とし穴に落ちてジタバタしながらも。
まだまだ知りたいことだらけ。学んでみたいことも山ほどあります。どこまでできるかわからないけれど、私の学びの道はほそ〜くなが〜く続いていくようです。

埼玉県/上村明美 





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