ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

モモの手土産


東京の楠野です。
冷やしたモモが美味しい季節になってきました。
モモを見るたびに記憶が蘇り、胸がキュンと痛くなる娘との思い出があります。

まだ娘が小学1年生の時のこと。4月から始まったひとりで鍵を開けて誰もいない家に帰るという、難関課題にもようやく慣れて来た夏の始まりの頃のことでした。娘はその日は放課後いったん家に帰ってから友達の家に遊びに行く約束をしていました。

私が仕事帰りに2人の弟をピックアップして保育園から帰宅すると、今日友達の家で楽しく遊んだ話を報告してくれました。ふと目に入ったのは娘の絆創膏だらけの手。あれ?どうしたの?と聞くと、あー何でもないと手を引っ込めてしまいました。話したくないなら、しつこく詮索するのはやめておこう、キャラクター絆創膏だったこともあり、可愛かったから貼ったのかも?とその日は軽く流しました。

翌日、お邪魔した家のお母さんにお礼の電話をすると「感動したわ〜。ゆかちゃんが手土産にモモを持ってきてくれたの。お家に手土産に出来るお菓子が無くて冷蔵庫を探したらモモがあったんだって。包丁で皮を剥いて小さく切ってお皿に乗せて持って来てくれたの。手にちょっと傷が出来てたから、絆創膏貼ったわよ〜。軽い傷だったから大丈夫」

この報告を聞いた瞬間、胸を思い切りギュッと掴まれた気持ちになりました。まだちっちゃい小1の娘が包丁を手にキッチンでひとり悪戦苦闘してる姿。その時手を貸してあげられなかった申し訳なさ。たったひとりで問題にぶつかってどうにかしなければと必死に解決策を考えて、決めた行動を怪我をしても諦めずにやり切ったことへの驚き。ひとりでもちゃんとどうにかできる逞しさを持っている娘を手放しに尊敬する気持ち。いろんな思いが入り混じり、プチパニックになりました。

何はともあれ週末に、モモの皮のむきかたレクチャーを実施。自由に使える共有財布をつくり対面キッチンのカウンターに設置して手土産はそのお財布で買うルールをつくる。そんな対処が終わるとジンワリとこみ上げて来るものがありました。

親が手を貸す範囲を狭くする時だと頭では分かってはいたけれど、その時が今、遂に来たのだということ。娘が自立に向かう喜びには裏腹に、寂しさが募る現実があること。

この出来事は私にとって、この子が困らないように何でも先回りして手を貸してあげたい。そんな親心を卒業するきっかけとなりました。子育てとは、子どもの自立をサポートすること、心は離さず手を離し見守ること。そう腹に落とし、親として肝を据えて一歩を踏み出す背中を押してくれた出来事でした。

娘はそんな風に起こる事を学びに変えながら、ちょっとずつ一歩ずつ、成長して行きました。モモの手土産はその入り口のエピソード。

先日夕食後、デザートのモモを前に、大学3年生になった娘とこの時のことを振り返って話をする機会が出来ました。娘も鮮明に覚えていて、あの時のお互いの気持ちをシェアし合いました。
最後に娘がひと言「それにしても、何でご丁寧に皮まで剥いていったんだろうね。皮付き丸ごと持って行けば良かったんじゃない?今考えれば、モモの季節、冷えてるだけでじゅうぶん喜んでもらえたよね。笑
でもね、ママが剥いて一口大に切ってくれるモモがあの時の私には一番美味しかったんだと思うよ」

美味しい状態で食べて欲しい。ママが居ないなら私がやらなきゃ。
私は物理的にそこには居なかったけど、娘の中のママはそこに居て背中を押してあげることが出来ていたんだなぁ。

こうして振り返ることが出来たことも含めて、全てが大切な必然の出来事なのかもしれません。

モモを見るたびにキュンと切なくなる季節、松下さんにとってはどんな季節なのでしょう。次のタスキを繋ぎます。

東京都/楠野裕子 







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