ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

「働く」から得たもの


五十君さんのブログ「親が人生を楽しんでいれば、子どもはそれが生きるということだと学ぶ。親である自分自身の毎日を充実させ楽しむ!」は私にとっても、ハートフルでの学びで一番の衝撃でした。
え? いいの? それなら私自信ある! スーッと肩の力が抜けた瞬間を思い出します。
あれ以来、実践してきて思うのは、子どもは親をよく見ているなぁということ…

小学生の6年間と比較すると、中学生以降の早いこと早いこと。大学3年生になった長女はただいま就活の一環でインターンシップを始めています。夕食での娘の発話から「働く」ってどういうこと?を私自身改めて考えさせられる毎日です。

昨夜珍らしく娘が話しかけてきて、小一時間おしゃべりしました。
この数ヶ月、出張も多く、帰宅したとき子どもたちは寝静まった後。朝も一番に家を出るからろくに会話もしてなかったっけ。

ひとしきりおしゃべりしてひと息つくと、娘が、
「私早く社会人になりたいんだよね。大学の友達はずっと学生で居たいって言ってるんだけど…」
「へー。なんで早く社会人になりたいの?」
「ママ、仕事楽しそうだから」
ドキッとしました。

仕事が楽しいなんて話したことないし、いやいや正直辛いこと多いし、毎日ヘトヘトになって帰宅してるし、合わない人ももちろん居るし、そんなに器用に立ち回れない性分だからしょっちゅう不甲斐なさに悶々とするし…
でも、仕事にやり甲斐は感じている、成果が出せた時にはこの上ない達成感を感じられる、頼られると自分の存在を肯定されたような安心感を得られる…
常に刺激的な毎日を送れているのは30年続けてきた今の仕事があるからだとは思う。でも、仕事は楽しいって胸張って言えるのだろうか?
そんな雑念のような思いが渦巻いていたとき、ふと10年前の出来事を思い出しました。

青天の霹靂的な人事異動で今までのキャリアが一切使えない部署に異動なって1年後、ついに人間関係で参ってしまい不眠治療に通うまでになった時がありました。
娘がまだ小学4年生の時のこと。
その日までは子どもに話しても分からないし、こんなどろどろした心の内を話すべきではないと思っていたのですが…
体重も落ち笑顔も少なくなって来た私を何となく心配してくれていたのでしょう。
夕飯後に寄り添うようにそこに居ていつもと変わりなく天真爛漫な笑顔を向ける娘に、ふと気持ちが緩んで「実は今ママ会社でね…」と話し始めると、胸に溜め込んでいた悔しい思いや悲しい気持ちが一糸飾らない言葉になって一気に溢れ出してしまいました。娘に話しても分からないと思ってはいるのに、ダムの決壊のように涙と一緒に溢れ出した思いと言葉はもう自分でも止める術がありませんでした。時間にして15分くらいだったか、私が語っていた言葉はそれまで娘に使っていた平易にしたものではなく、思考のままの言葉でした。
すっかり私が吐き出し切るまでジーっと聞いていた娘が
「全部言えた?」
「うん。たぶん言えた。なんかスッキリしてるから」
「あのね、ママは偉いと私は思う」
「?」
「その嫌な奴のためになんとかしなきゃって頑張ってる。私ならそんな奴、やっつけてやるのに。でもママはそうしない。その人のためを考えて苦しんでる。だから、ママは凄いし偉いと思う」
瞬きひとつない澄んだ瞳に真っ直ぐに見つめられ、
魔法のように悶々と凝り固まっていた心がスーッと解き放たれていくのを感じました。

それで良いんだよ、ありのままそのままで…
私が伝え続けていたことを、今度は私に娘が返してくれたと気づきました。
こんなダメダメな私でも丸ごと愛してくれる人が居る。 それを自信に肩の力を抜いてみよう。
不眠治療を卒業出来たのはその日から1週間ほどのことでした。

あの日から、娘を子ども扱いせず、仕事であった良いこともやな事も、オープンに話して来ました。
そして昨日、早く社会人になりたいと言う娘。

「そうだね。ママにとって仕事は自分を知る機会をくれる場だし、自己実現の場だからね。いろんなことがあるけれど、超楽しいよ」
その実、30年働いて得た一番の宝物は支えてくれる娘の存在に気づけたこと。

明日は私の勤める会社にインターンシップで来るそうなので、帰宅後は話のネタが尽きない予感。
社会人になって沢山の経験をして行く中で、今度は私が娘に恩返ししたい。今からとても楽しみです。

秋の気配を感じるこの頃、神奈川の松下さんはいかがお過ごしでしょう。タスキを渡します。

東京都/楠野裕子 





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