ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

リンゴのケーキ


広島の來山です。
子どもの負の感情を受け入れられないこと、私にもよく起こります。つい最近も、子どもに私が思う解決法を説得してしまっていたことに気付き、気を付けているはずなのに、子どもが困った状況にあることにどうしてこうも堪えられないのかなー、と思っていたところでした。
先週のブログで上村さんが言葉にしてくださったおかげで、モヤモヤとなった時が、モード切替のサインだと気づきました。このモヤモヤに気付けるように意識しようと思います。こっそり深呼吸して「自分で解決する力が子どもにはある。聴くだけでいい」と心の中で唱えてから聴くモードに入ってみようと思います。

つい先日のこと、スーパーに並んでいる紅玉りんごを見て、昔はよくりんごのケーキを焼いていたなーと思い出しました。すると懐かしくなって、10年ぶり位になるでしょうか、りんごのケーキを焼きました。そして、なぜかふと、「そういえば、母もこのりんごのケーキが好きだったなー。持って行ってあげよー」と思ったのです。

実は、実家は歩いて15分ほどの距離なのですが、用を頼まれた時や、お正月などを除いて、私の意志で訪れることはここ4-5年ありませんでした。というのも、もともと干渉的な母なのですが、私の結婚後も変わることなく、私の生活や子育てひとつひとつに口出しするので、その口出しと、それに伴う感情的な摩擦に耐えられなくなり、段々と距離を置き、最終的には私から実家を訪れるのをやめたのでした。
そんな私が何事もなかったように会社帰りに実家に寄って、母に「りんごケーキ作ったけー」と言って渡したのです。私は自分の行動が不思議でした。母に会って自分が傷つくのが嫌で遠ざかっていたはずなのに、「どうして自分から会いに行ったんだろう?」と、この何日かずっと気になっていました。
「どうしてだろう?」と、ふと空を見上げた時、はっと気づきました。「そうだ。私を覆っていた母の圧が消えている」と。

母から距離を置いてすぐの頃は、それまでずっと私のやるべきことを指図し、私の困りごとに対しても意見していた相手を失って、私は何をどうしていいかわからず、途方に暮れることがよくありました。
でもそのうち、「で、あなたはどうしたいの?」という言葉を私は自分に尋ねるようになりました。そうすると、「私は○○したいけどー」(でも母は反対してたし。。。)母の圧が私を襲ってきます。「じゃあ、したくないの?」と問います。「いやー、私はそうしたい」「じゃー、やってみる?」そんなふうに、私は私の本当の気持ちと対話するようになりました。

自分でやると決めたことを少しずつやってみると、最初は不安が付きまといましたが、何だか自分でやってみたことが嬉しくなっていきました。そして何かができた時の喜び、充実感は何ものにも代えがたい自分自身の成長として感じられました。すると、また次に自分がやりたいと思ったことをやってみようと楽しめるようになりました。そうしてやりたいと思ったことは、嘘偽りのない、私の本心でした。
もちろん、嬉しいこと、楽しいこと充実感ばかりでなく、そのために苦しくなること、やらなきゃよかったのにと思うようなこともありましたが、それを乗り越えると、次への力となりました。
そうすると、やりたいことのために時間を節約したり、予定を立てたり、お金の使い方を考えたり、出かけるときは、家族に「お昼は自分たちでよろしく!」なんてお願いすることも、最初はハードルが高くはありましたが、心おきなく私がやりたいことを楽しむための技として身に着けたりと、私のやりたいことの影響は私の生活全体に広がっていきました。
それまでは、「これをしたら母がどう思うだろうか?」ということが、私の生活基準だったのですが、今度は、私自身が考え積み重ねた、私基準の生活への変化でした。まだまだ改善の余地はありますが、やっと今、私は私の人生を生きているという実感があります。
そんな晴れ晴れとした気持ちの中で、「もう母が何を言ったとしても、私は私」、と無意識に思えたからこそ、自分から実家を訪ねることができたのだとわかりました。

そして私はもう1つ隠れていた私の気持ちに気づきました。それは、「私はずっと母に認めてほしかったんだ。」ということ。私なりに、「母はこれならいいと言ってくれるんじゃないか」というフィルターを自分の生活にかけて過ごすことで、「もうあなたは大丈夫」と言ってほしかったのです。そうすれば、そこからは自分らしく過ごせるようになると、どこかで思っていた気がします。だからこそ、それを破り自分を優先しようとした時、「それをやってしまうと母に認められない」という圧として感じていたのです。

でも、そんなフィルターを通したところで、それは「私が考える母のフィルター」に過ぎず、母が認めてくれるはずもなく、それで、「もう私らしく生きたい
から開放してー」と母の許可をどうしても得たくて、母に感情的に反応していたのです。まさに、それ自体が私の母に対する依存でした。
結局、母に「あなたはもう大丈夫」と言ってもらえなかったことが、私が無意識に彼女から距離を置いて、自分基準で過ごすようになる自立への大きな一歩だったのです。
「まだ、大丈夫って言ってほしい?」私は問います。「今さら照れ臭いかな。でも、言ってもらえなくても、今の私はもう大丈夫」

五十君さん、いい気候になりましたね。アウトドア、楽しんでいますか?

広島県/來山美和子 





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