ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

秋の夜長の読み聞かせ


東京の楠野です。
五十君さんのブログから、今に根ざして生きる姿を今も見守ってくれている、お父様の深い慈愛を感じました。
今を大切に生きること。私にとっても親として子どもたちに一番伝えたいことのひとつです。
今この瞬間を丁寧に積み重ねていくことで過去の後悔も未来の不安も薄れていくのかもしれませんね。

秋も深まり寒さも増して日に日に日暮れが早くなってきました。長い夜、我が家はそれぞれ本を開いている光景が日常です。

もの心ついてから父が毎晩語ってくれる創作物語が大好きでした。小学生になると創作物語は本の読み聞かせに代わり、眠りにつく毎日でした。
冒険物語やSFや未知の世界に思いを馳せて、想像の泉に浸って眠るのは私にとって至福のとき。
私がその習慣を子どもたちに実行したのはごく自然なことでした。
我が家の三姉弟への寝る前の絵本の読み聞かせは、私自身がそうだったように、読書を日常の当たり前の習慣にさせました。
今でも本だけは無条件にお小遣いを出さなくても買ってあげるルールを通しています。
今高校2年の次男のライトノベルはかわいいものですが、大学生になった長女と長男のおねだり本は学術書。おサイフとにらめっこしながら出来るだけきれいな中古本を探しつつ何とかルールを全うしています。

読み聞かせてきた絵本は軽く三桁を超えますが、何度も繰り返し読んで殿堂入りしたお気に入り本は今でも本棚に並んでいます。

しかし、どんなにお気に入りの絵本にもまさる読み聞かせが実はあったのです。
それは、3冊のママ日記。ひとりに一冊ずつ生まれてから2歳くらいまでの間の出来事を書き留めた日記です。
産院に入ってから入院1週間とその後は初めて寝返りを打った時や立ち上がった時、歩いた時、自分でごはんを食べた時や初めて発した言葉。
その時の様子や私が感じた事を事細かに描写している日記です。
これを読むときは実に盛り上がります。
特に初めての言葉シリーズは何度読んでも大爆笑。すっかり内容を覚えているのに、毎回大ウケ。
あの時のママの素直な気持ちに触れるとき、毎回3人揃ってなんとも言えない幸せそうな表情になるのです。

なかなか面と向かって言えないけれど、日記の読み聞かせは、子どもたちにとって、その時ママに愛されていたと確信できるとき、そして私自身もあの時抱いた、生まれてきてくれてありがとう、ここにあなたが居ること、ただそれだけで幸せ、という素直な気持ちに立ち返るとき。
幸せに包まれて満たされて、眠りに落ちる…

ママ日記の読み聞かせは小学生の間まででしたが、大きくなってからもコッソリ本棚から引っ張り出し、自分で開いて読んでいる姿を目にしたことがあります。
そんなときは見て見ぬ振りしつつ、日記を書いておいてよかったなぁと、ほくそ笑んでいます。

書き留めた日記が密やかな楽しみなら、小さい頃の写真を一緒に眺めながら、当時の出来事や感じていたことをぶっちゃけ話しするというのも、また違ったオープンに盛り上がれる良さがあります。
今でも時々アルバムを開くと子どもたちが寄ってきて、飽きもせず(お互いに)毎回同じ思い出話になります。ついつい「かわいかったなぁ」と過去形でつぶやいてしまうと、「かわいいなぁ」でしょとツッコミに合うのはお約束。

事実は小説より奇なり。自分が主役の始まりの物語。
あなたの人生の主役はあなただと、その歴史を語れるのは親の特権のように思えます。
子どもたちと過ごせる時間は案外あっという間。
秋の夜長の有効活用、オススメです。

楠野裕子 





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