ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

らせん階段を上るように…


兵庫県の名和です。森屋さんのブログを読んで、目から鱗が落ちました。今は、「仕事」が「家庭生活」にポジティブな影響を与えているな…と思い、仕事へのモチベーションが上がりました。

中学生の頃から起立性調節障害という病気を10年ほど患ってきた娘が、最近、目に見えて変わり始めました。そんなある日、娘は、家事をしていた私に、自立をほのめかす話題を投げかけてきました。
「私、来年の夏までには仕事に就いて、再来年ぐらいを目途に、友達とルームシェアして暮らそうと思う。彼女とは、もう6年来の付き合いになるかな。お互いに、良いところも悪いところも知った上で尊敬してるの。実家を離れて、自立した大人同士で暮らしてみたいと思う」と。
「自立ね。その言葉は、すごく嬉しいなぁ。」と、私は手を止めて娘のはす向かいに座りました。

すると娘は、こんな話を始めました。
「今、心に余裕があって幸せを感じてる。それは、良い友達関係を築けたからだと思う。私、中学で病気になってからマトモに学校に行ってないでしょ。だから、友達関係を築くことに怖さがあった。常に、大事な友達が<私のことをどう思ってるか>が気になって仕方がなかった。半年ほど前、友達としっくりいかなくなって、何度も向き合って、人は支配できるものじゃないとわかった。そのことから、ありのままの自分を好きでいてもらえる心地よさ、ありがたさ、を学んだわ。これから出会う人も、先ずは尊敬できるところをみつけようと思う」と。
聞きながら、<この話、ハートフルコミュニケーションの「愛すること」に通じている>と思いました。

娘は、次に、こんな話を始めました。
「心の余裕は、体の変化の影響もあるかも。続けてるねん、トレーニング。先週、初めてコーチに褒められたわ。<やっと、体重、増えたね>って。何をやっても、ほんとに、続けられへんかった私が…。いろいろ試して、やっと自分に合った方法を見つけた。私は、成果が目に見えると頑張れる。ええかっこしいやからね。自分で決めたことやから、体調崩して休んでもズルズル行かんように<少し>からでも又、立ち上げてる。食べ物にも気をつけてる。そうしてたら、体が変わってきた」と言って、硬い腹筋を触らせてくれました。
聞きながら、<この話、ハートフルコミュニケーションの「責任」に通じている>と思いました。

その後、ふと、ある友人から「娘さんのこと、何をしたら上手くいったの? 教えて」と問われたことを思い出しました。「何かなぁ。一度、振り返ってみるわ。」と言ってそのままになっていたことも。

私は、ハートフルコーチ養成講座のファイルを取り出しました。桃色の表紙には花模様のデコレーションを施して、大事にセロファンカバーを掛けています。2013年。今から6年前のことです。
ページを1からたどりながら、養成講座で娘が中学生の頃の話をシェアしたことを思い出しました。「愛すること」を学んだ時のことでした。
<学校に行けず家にいる娘が、私にイヤホンの片方を差し出し「私、この歌、好き」と言った。流れてきたのは「…核融合炉にさ〜、飛び込んでみたいと思う〜…」と歌うボーカロイドの無機質な声。こんなネガティブな歌が好きだなんて…たまらなく心配…。それでも、その心配を脇に置いて、ハートフルコミュニケーションの講演会で学んだ方法の「ジャッジせずにそのままふわっと受け止める」をやってみた。「あなたは、この歌が好きなのね」と受け止めると、「うん」とホッとしたように娘が頷いて、それから、自作の小説を読ませてくれるようになった>
今ここにいるありのままの娘を受け止めた、事始めだったかもしれません。
病気を発端に不登校になった娘を変えようと、「こんなはずじゃない」「なんとかせねば」と躍起になっていたのがそれまでの私でした。
その後も、受け止められる日もあれば、受け止められない日もあり。「また、できなかった」と落ち込んだり、「もう一度、やってみよう」と立ち上がったり。そんなことを繰り返しながら、出来る場面が増えていったように思います。今でも、正直なところ、できない時もあります。ただ、それに気づき、軌道修正できるようになってきているのも確かです。

さらにページをめくり、読み進めると、こんな記述がありました。「責任」を学んだ時のことでした。
<集中豪雨。高校生の娘は友達と梅田で待ち合わせ。バスの時刻が迫っている。ギリギリのところで焦りながら「行ってきます」と娘。「行ってらっしゃい」と私。3〜4分経った頃、娘が帰ってきた。「この傘、破れてる! 雨が漏れてくる! もぉーー!! 間に合わへんやん!」と娘。「どうする?」と私。娘は「タクシーしか、ないでしょ!!」と、つかつかと家に上がり電話の前に来るも、踵を返し玄関へ。「もう、行くわ!」と出て行った。1分ほどしてまた、帰ってきた娘は「今のお母さんの態度、何よ!」と自分への苛立ちを私にぶつけた。「腹、立ってるねんな…」と私。娘は携帯電話を取り出し、友達と通話している様子。「どうだったの?」と聞くと「彼女も家を出てなかったわ。来週に延期した」と。「ああ、よかった。来週は晴れるといいね」と伝えた。娘には、もうすでに、自力で事態を解決する力が備わっている。遊びに行く交通費は娘持ちだ。「タクシー呼ぼうか」なんて余計な口出しをしなくてよかった。>
「娘の力を信じて任せる」を意識して、暮らしのなかで実践していたのです。
これもまた、できる日もあれば、できない日もあり。「また、口出ししてしもた」と落ち込んだり、「ここは、ふんばろう」と腰を据えたり。こちらも、いまだに、自分の都合で手出ししてしまったり、心配高じて口出ししたり…。そんなことが、たまにあるのが実際のところです。でも、それに気づき、「言うてしもたー!」と認めると、娘から「お母さんの娘を思うキモチやね。フフフ」とソフトなツッコミが返ってきます。

振り返ることで、らせん階段を上るかのように、ゆっくりと自分を成長させてきた足あとをみつけました。こうして、私は、ハートフルコミュニケーションを子育ての軸にして歩んできたのだな、と改めて確認できました。
娘もまた、らせん階段を上るかのように、ゆっくりと、でも着実に、自身を成長させているようです。

もうすぐ、2020年の幕開けです。ハートフルコミュニケーションの火を灯しつつ、上村さんへと襷を繋げます。よろしくお願いします。

兵庫県/名和めぐみ 





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