ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

受容


兵庫の五十君です。
來山さんの娘さんとのすてきなエール交換、何てうれしいプレゼント交換でしょうか!こちらまでうれしくなり元気をもらいました。
人にいいと言ってもらえて初めて、それが自分のいいところだと認識できることもある。うんうん、確かにそうだなぁと頷きました。

私も最近仲の良い友人と話していて、自分では気付いていなかったことを友人が浮かび上がらせてくれたということがありました。
それは、私達友人3人の共通の体験について話していた時のことでした。その内の友人Aが、起こった出来事を冷静に分析して彼女の考えを聞かせてくれていたのですが、その時の私の反応や表情を見ていたもう一人の友人Bが伝えてくれました。
「真剣にうんうん頷きながら聞いていたけど、だんだん表情が暗くなり強ばってきて、いつも出てるキラキラがどんどん消えていった。そういう考えもあるんだな!と受け取ればいいところを、まるで、それが正しい考えなんだ!とその思考にあわせようとして苦しそうな感じだったよ」と。そして、天真爛漫なところは私のよさで、それを本当に大切にしたらいいよ!と言ってくれました。
私自身ですら意識していなかったことでした。

でも、その話を聞いていろいろな思いが自分から出てきました。
私は確かに、冷静に論理的な思考で話す相手に、すごいな‥自分もこういう見方をするべきなんだなと思って、自分の足りない部分にフォーカスして、目の前の相手ではなく、出来ていない自分をどんよりしながら見つめている感じがしていました。
もし、自分の足りない部分にフォーカスするのではなく、今の自分にOKを出してお腹の底から自分自身を認めていたら、足りない部分を見せられているというより、プラスアルファを見せてもらっている感じがしそうな気がします。すごいな!そんな考え方あるんだ!とか、おもしろいな!そういう見方も知れてよかったな!と、自分自身に対し肯定的な感覚を感じながら、目の前の相手に対してもっと軽やかに反応しているイメージです。

エニアグラムを学び、私は天真爛漫なタイプ、気質なんだと認識した後、いつの間にか、それとは対極的な気質の特徴である冷静、論理的な思考を無意識のうちに追求しだしていたのかもしれません。エニアグラムでは、気質を変える事はそもそも出来ないし、自分自身の気質の輝きでよりよく生きることで健全度が向上すると教えてもらっていたのに。
気質を変える事もその必要さえもそもそもないのに、無理に自分の気質に足りないものを取り込もうとしたら、苦しくなるだけ。私は私の気質を心の底から受け入れよう。そこでまたハッとしました。
私はこども達をどんな時もどんな状態でも丸ごと受入れて応援したいと思っていたけれど、実はまだ自分自身のことを丸ごと受入れてなかったんだな。私の中には、自分が冷静、論理的な思考が不得意であるといった部分も含めて丸ごと受入れたいという思いがあったのですが、根っこの部分には、足りていない面や不得意な面がもっと改善できたら自分をさらに好きになり肯定できるという思いがあったんだと思います。

以前に聞いた話を思い出しました。人の無意識は植物に例えると土の中の根っこの部分、地上の茎や葉は意識の部分。いくら意識の部分の茎や葉を刈ったところでまた同じ根っこから、同じものが生えてくる。だから、根っこの部分すなわち無意識部分を変えないと、地上部分すなわち意識の領域は変わらない。しかもその無意識の部分は自分自身の中にあるものだから、自分ではいちばん見えなくて、信頼する師や友人に手伝ってもらう必要がある。

これを聞いた時には、へぇーそうなんだなぁとは思ったものの、では実際どの様に手伝ってもらったらよいのだろうかと思っていました。
でも、今回の友人との会話のおかげで、私は冷静、論理的な思考が不得意であるといった部分も含めて今の自分自身を丸ごと認めて受入れてるのではなく、足りていない面や不得意な面がもっとこうなったらさらに好きになれて肯定できるという無意識の思いが、そもそも自分の根っこに存在していることに気がつきました。
気がつかない限りは手放せない。気がつけた今は、手放せます。
手放したら、自分でいることがうれしくて、からだの中の方がホァーっとあたたかくなってきて、ジュワーンとエネルギーがお腹から湧き上がってくる感じがしました。私はあるがままの私が大好きで信じているよ、と自分自身を抱きしめている感じです。これからは、この感覚を大切に自分自身を抱きしめていきたいです。

次は東京の楠野さんに襷をお渡しします。お話楽しみにしています!

兵庫県/五十君朋子 






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