ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ケ・セラ・セラ


五十君さんのブログを読んで、生まれもって変わらない気質は与えられた私だけのもの、その個性を変えようとするのではなく、使いこなすことにエネルギーを注いでいきたいなと思いました。

さて、お正月は実家に親族で集まるのが毎年の恒例。おかげさまで、今年もぶじ、全員で顔を合わせて新年を迎えることが出来ました。

わたしには2歳上の兄がいます。
思春期、自分でも抑えられない感情にブンブン振り回されて親に反抗していた時も、毎晩話を聞いて受け止め、私が自分の頭で状況や感情を整理することを見守ってくれました。
兄の信条はケセラセラ。「なるようになるからだいじょうぶ。でも、なるようにするのは自分だけどね」と言ってガハハと笑うのがいつも締めの言葉。
いつも、だいじょうぶ、なるようになる、なるようにするのは私自身、と繰り返していると気持ちが落ち着いて行きました。

その兄が10年ほど前に緑内障を発症しました。
外側から視界が狭くなるのではなく、視界の中心から見えなくなる症状で、権威の先生の治療に通いましたが、残念ながら発症から数年で片目の視力を失いました。
だいじょうぶだよ。距離感が掴めないから人とすれ違うときたまにぶつかっちゃうくらい。といつもと変わらずガハハと笑っていた兄。

ほどなくして、兄は転職を決意しました。
もう片方の目の視力がいつまで持つか分からないという診断に、ほんとうにやりたいことをやるのだと。兄の小さい頃からの夢はレーシングカーの開発でした。それまでの大手自動車会社の研究職を辞めての転職。職場の上司や大学の恩師、OBとなっている先輩方が応援してくださって転職が叶いました。そして同時にその仕事のために一人暮らしを開始したのです。

2年前、ついにもう片方の視力も失いましたが、家族や周りの仲間に支えられながら、一人暮らしを続け、今でも研究発表のために海外出張までサラリとこなしています。

お正月に久しぶりに実家で会った兄と話をしました。
「目が見えなくなったらね、今まで見えなかったものが見える、聞こえなかったものが聞こえるんだよ。人間てすごいねー。記憶力はビックリするくらい高まるし、聴覚も発達する。だから話している相手の気持ちも手に取るように分かるんだよ」
ひとりで外出してだいじょうぶなの?と聞くと、例えば初めて降りた駅でトイレに行きたくなったとしても、いま前を歩いている人はトイレに行こうとしているのが分かるのだとか。付いて行くとちゃんとトイレにたどり着ける、ほぼ的中と得意げ。
「でもこの前、初めて通る道を歩いている時、街路樹に激突しちゃった。まだ植物の気持ちを読めるところまでは至っていないようだ。ガハハ」

いままでの人生で私が一番尊敬する人は間違いなく兄であり、兄を見ているとまだまだがんばれると励まされます。
逆境にも関わらず、逆境だからこそ、小さい頃からの夢を叶え、ずっと変わらず活き活きと生きる兄は私の敬意の対象であり憧れです。

ケセラセラ
ただの楽観主義ではない、この言葉の奥行きを兄の生き方を通して、感じるのです。
そして、私の大切な信条にもなっています。
だいじょうぶ、なるようになる。そして、なるようにするのは私自身。

次は大阪の桜井さんにタスキをお渡します。

東京都/楠野裕子 




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