ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

プチトマトが教えてくれたこと


★ お礼 ★
おかげさまで第2回「オンライン・カフェ リレーブログ談話室」(6/13実施)は、満席のもと、充実した対話の場となりました。詳しくは
こちらのページでご報告させていただいております。
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広島の大下です。桜井さんの半身浴をしながらの作戦タイム。まさに渦中の私も、じっくりと手帳に書き出してみよう、と思いました。

さて、コロナで休校となった3月から、子ども達と一緒に楽しんでいることがあります。それは家庭菜園。
小6の三男が、「なんか野菜の種を植えて栽培してみたい。」と言い出したことがきっかけで、三男はプチトマト、小1娘はミニひまわりの種を選び、プランター、野菜と花の土を、全て100均で揃えて、ささやかに始めました。

ただ、私自身初めてプチトマトを種から育てるので、ネットや本を調べながらの手探り状態。最初にまいたプチトマトは、毎朝生真面目に水やりした結果、根腐れして枯れてしまったのです。
いつも気にかけ世話をしていた三男が「かわいそうに…」と残念がっているのを見て、「もう一度チャレンジしてみよう。」と提案したところ、改めて種まきから始めることにしました。

今度こそは、枯らす訳にはいきません。                           
前回よりもしっかりと調べ、水もやり過ぎないよう、子ども達と一緒に、毎朝土にさした割り箸の湿り具合をみながら慎重に水やりをしました。芽が出てからは、しっかりとお日様に当たるよう日当たりに合わせて置き場所を変えて育てました。そのかいあってか今回は順調にすくすく育って、かわいい花を咲かせ、小さな実をたくさんつけています。

植物は、しゃべりません。とても静かです。                      
日頃のバタバタや、心のざわざわにちょっと疲れた時、少しずつ大きく育っているプチトマトやひまわり達を眺めていると、ただそこにいてくれて、黙って私を受け入れてくれる。そんな気がして、心が落ち着くのを感じ、私にとっても大切な存在になり、ますます生長が楽しみになっていきました。

そんな中、ふと、プチトマトやひまわりを見守り育てていて感じることが、何かに似ている、と気づきました。
種をまけば、「ちゃんと芽は出てくるのかな。」とドキドキ。芽が出れば、「今度こそ枯れずに大きくなるかな。」「葉っぱの形がちょっとおかしいかも?」と心配。               
無事大きくなってつぼみがつけば、「花は無事咲くかな。」咲けば「ちゃんと実がなるだろうか。」と、先に先に、いろいろと気になってしまうのです。

「まるで子育てみたい。」と、自分でもおかしく思っていた頃、小1娘から言われました。   
「もう、『お風呂入るよ』って言わんとって。」と。
不思議に思って聞いてみると、毎晩私に「お風呂入るよ」「早くお風呂に入って」と何度も言われるのが嫌だったみたいで、「何回も言われると、お風呂がきらいになりそうになるから、もう言わないで。」と、涙を浮かべていました。
小学校が再開し、朝早く家を出るようになったので、夜は早くお風呂に入り、早く寝ないと朝が起きられない、と、私が先々のことを考えて、毎晩追い立てるような感じになっていたのでしょう。
「ごめんね、もう言わないように気を付けるね。」と謝ったあと、「よく言ってくれた。」と、私は心の中で娘に感謝しました。

思い返せば、上の息子達が私にそんなことを言ったことはありませんでした。当時は私もいっぱいいっぱいで、言える雰囲気ではなかったのかもしれないし、彼らの性格的なものもあったかもしれません。でも、そんなことを言ってきたのは娘が初めてでした。
…そういえば、息子達の子育ての時は仕事で忙しく、ゆっくり彼らの成長を見守ることができませんでした。そんな後悔から、末娘のことは、今度こそはそばで成長を日々みつめていたい、という思いが強くなっていたと思います。最初のプチトマトを枯らしてしまった後悔から、「今度こそは枯らさずに大きくする」という思いが強くなったのと同じように。

娘からの言葉をきっかけに、間違いなく、普段から私は、娘に対して無意識に口出ししているに違いない、と思い、正の字を書いて数えてみることにしました。                  
…すると、出るわ出るわ、朝起きてから学校に送り出す1時間半だけでも、歯磨きしたか、ハンカチ持ったか、などなど、7回も言っていました。そして、娘への口出しをカウントしているうちに、娘だけではなく、上の6年生息子にも結構口出ししていることに気づきました。
もし、自分が夫からそんな風に、毎日毎日しょっちゅう口出しされたとしたら、考えただけでもうんざりで、相手のことも嫌になりそうです。
それなのに、「お母さんだいすき」と言ってくれる娘や息子のありがたさよ。

今回、私は、ハートフルコミュニケーションで学んだ、【人を「できる」存在ととらえて、そばで見守り、よりよくなるために必要なときには手をかす】という姿勢を忘れていたことに気づかされました。
毎日黙って私を受け入れてくれるプチトマトやひまわり達のように、にこにこして話を聞き、必要とされている時に、そっと手助けできる私でありたい、いや、今日からなる、と、心の中で決意しました。

そこで、まずは「気づくこと」から始めよう、と意識しています。これまで何気なくかけていた言葉を、「今の言葉は、口出しになってたかも。」と気づく。それを「ハートフルな言葉で言うとしたら、どう言えたかな。」と置き換えてみる。
今はここまでですが、意識しているうち、口出ししそうになったら一瞬口をつぐんで待てることが増えていて、それを自分でも感じてちょっと嬉しく思っています。これからも、プチトマトやひまわり達を見ながら、地道に続けていこうと思います。

それでは、千葉の中溝さんにタスキをお渡します。

広島県/大下倫子 




2020年06月22日(月) No.465 (日記)

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