私の思春期
広島の來山です。
上村さんのお話に、私の子育てを重ねて涙がこぼれました。私も葛藤している人や子どもたちの話をニュートラルに聴いて、「頑張ってるね!」って頭をぽんぽんできるようになりたいなー。そして、私にも頭をぽんぽんしてくれる人がほしいなーと思いました。
今回は私の遅すぎた思春期についてお話しします。
みなさんには思春期はありましたか?
私にも思春期はありました。ドロドロ沸き立つ溶岩のように親に反発する気持ちや自分の不甲斐なさに対する怒りがふつふつしていたこともありました。けれど、私の母の、私をどうにかしないといけない(何者かにしないといけない)という思いはそれを上回りましたし、私にも「自分の反発心は親を悲しませる」という思いがあって、ぎゅぎゅぎゅーと抑えつけた気がします。
そんな私が子育てをしようとしたとき、母と同じように子どもをどうにかしようとしてうまくいかず、ハートフルコミュニケーションを学びました。『子どもの心のコーチング』で菅原裕子は、「実は、何も知らないと思える生まれたての子どもの中に、既に自立して生きていくために必要なすべての知恵の芽が存在しています。その芽は親が邪魔さえしなければ立派に育つよう仕組まれているのです」と書いています。私は、「え?私は邪魔だったの?」と不意を突かれたようでした。でも、子どもたちの中にあるのが何なのか知りたくなりました。
そうして、私が彼らをどうにかしなければならないという思いよりはむしろ、彼らの中にあるものを見てみたいと思って、子ども自身の自立や自己実現をサポートするように舵を切ることができたのです。
子ども自身の思いを大切にするようになるにつれて、私の中に、「母の思いとは外れたとしても、自分の思いを優先したり、大切にしたりしてもいいんだ」という思いが起こり始めました。
その結果、40歳を過ぎた私と母との、戦いのゴングが鳴ったのです(笑)。
母がこれまで通り私を思い通りにしようとするのに対して、私が反発するので、お互い随分感情的にもなりました。「もう、わかってもらおうと思うのが無理なのかも」と、2〜3年前から距離を空けました。実家に一人で訪ねることはほぼなくなりましたし、電話も忙しい時には無理して話さず、メールで要件を伝えるようにお願いして、気が進まない依頼はメールで断るようにしました。ちょうどラインがはやり始めたころだったのですが、未だにラインではつながっていません。すると、段々と母も慣れてきたのか、自信をなくしたのか?あまりワイワイ言ってこなくなりました。
そうして、父の日が近づいたある日。私は、「久しぶりに、たくさんの人と一緒に食事をするのが好きな両親を食事に誘おう!」と思ったのです。
当日、食事も終わりかけた頃、母が話し始めました。「あのピアノは、月賦で一生懸命ためたお金で買ったんよ」と。
私が幼稚園の頃、両親が買ってくれた私のピアノのことです。きっと、私がピアニストになることを多少なりとも期待していたはずです。ピアノ教室にも通いました。けれど、母の希望で高校を卒業するまで続けたものの、「ピアノを習ってる」って言うこともはばかられる上達ぶり。。。
実は母がピアノを買ったこのエピソードを話すことはこれが初めてではありませんでした。そして、この話が出るたびに、私はいつも母に責められているように感じていました。なぜなら、両親がこのピアノを買うために並々ならぬ思いを込めていることを知っていたから。
この日も、「私たちがこんな思いをして買ったピアノなのに、あなたは?」と問われているように感じて居心地が悪くなり、「二人の期待に応えられなくって申し訳なかった」と言って席を立とうとしました。
でもその時、母が今度は自分のおなかをなでながら見つめ、「あなたがお腹におるとわかったその日から、300円ずつ貯めてねー」。すると、いつもは母の言うことを否定しがちな父までもが、「ちょっとずつじゃったけどのー。ほんまでー」と言ったのです。
一瞬、両親が若返って、まるで母のお腹に宿った私を待ちわびているようでした。そして私は、母がその話をしたのは、決して私を責めるためではなく、どんなに私の誕生を楽しみにしていたかを伝えるためだったのだと理解できました。
もしかしたら母は、せっかく買ったピアノが上達するように努力してほしと思ったこともあったでしょう。母が私のあるべき姿、するべきことに、うるさく口出ししたこともありました。母には私に何者かになって幸せになってほしいと切に願う思いがあったのでしょう。母が私に期待をかけて、自分の思い通りにしようとしたのは、私にとっては最善ではなかったけれど、母にとっては精一杯の愛情だったと気づいたのです。
私はこれまで重荷のように感じていた両親(特に母)の愛情を、素直に受け取ることができてとても嬉しくなりました。やはり幾つになっても、親に愛されていることを実感したいのです。
そして、もう一つ気付きました。私は長い間、母のストーリーの中を生きる私だったような気がするのですが、遅い反抗期を経て、今は、私自身のストーリーを歩んでいるという実感があることです。私は私自身の軸をもって、「私」として生きれるようになってきた。だから、母の生き方を自分から切り離して見られるようになれた気がします。
私はこの何年かは、「遅すぎる思春期だったんだなー」と思います。遅すぎたけれど、幼い頃父親を亡くして、自己実現が難しかった母の娘に対する思い入れは強く、10代の頃の私はそれをはねのけることができる程自分に自信がありませんでした。
でも私は子育てを通して、「自分の幸せは自分にしかわからないし、親にとって本当の幸せは子ども自身が今この道を進んでいることに満足していること」と確信し、私も私自身の幸せを求めて進んでいることで、もう母から何を言われようと、揺るがない自信が出てきました。この父の日のことは、「お互いいい距離をとれるようになったのかもしれないなー。私の思春期も通り過ぎようとしているなー」と感じた出来事だったのでした。
五十君さん、たすきをお渡しします。
広島県/來山美和子
2020年08月03日(月)
No.471
(日記)