揺るぎない安心
★ お礼 ★
おかげさまで第3回「オンライン・カフェ リレーブログ談話室」(8/1実施)は満席のもと、思春期の親子の関わりについて語り合う時間となりました。こちらのページで詳しくご報告しています。
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兵庫の五十君です。
來山さんの思春期のお話、今はご自身のストーリーを歩んでいるという実感がある、というところにグッときました。そんな來山さんのこれからのお話の続きにワクワクします!
思春期といえば、我が家の中3の長男が思春期真っ盛り。今回は、私の子育てに対する自信がぐらっと揺らいでしまった出来事について書かせてもらいたいと思います。
最近、長男が学校のルールを破ってしまい、学校から両親が呼び出されるという出来事がおこりました。この学校はルールを子どもと先生が一緒にミーティングをして決めていくという自由な学校で、そのルールを破るという事は、この学校の根幹を揺るがす問題なのです。
これまで私は、子どもが失敗しないように親が先回りして口うるさく注意するよりも、小さな失敗をたくさん繰り返しながら本人が自ら体験して学んでいって欲しいと考えてきました。それは、子ども自身が自ら考え動ける大人に育ってほしいとの思いからでした。
でも、学校から呼び出された後、今まで私が事細かに注意してこなかったことによって、「注意されなかったら大丈夫なんだ」という間違ったメッセージを子どもに与えてしまい、逆の意味での成功体験を重ねてしまったのではないかと、これまで自分がしてきた子育てへの自信をどんどんなくし始めました。呼び出された学校で、長男が幼いころからの成長の様子まで訊かれているうちに、長男だけではなく私自身の子育ての仕方や存在も否定され拒絶されているような気にさえなったからです。
ところが、同じ話を聞いた夫は、長男を否定されたような気にはなったけど、自分自身については全く否定された気持ちがしなかったと言います。それを聞いて、やっぱり私の自己肯定感が関係しているのかなと感じました。そして、そんな母親が育てているから息子のこういう状況が生まれてしまっているのかなとも感じていました。
あぁ、こんなことになってしまうなんて私の育て方が悪かったんだ…その結果、学校の先生方にもご迷惑をおかけしたし、本人にも辛い思いをさせてしまった。
学校に呼ばれた翌日、今後のことについて話そうと長男に声をかけたら、いやいやながらも、何をしたか、どう思っているかを話してくれました。でも、心を開いている感じはしませんでした。
一体どう接したらよいのだろう… 私自身が思い悩んでいた折、母から電話がかかって来ました。はじめは心配をかけまいと長男のことは話せませんでしたが、いろいろ話をしているうちにポロポロと今悩んでいることが口から出てきました。
「やっぱり私の育て方っていうのはどこかおかしくてこんなふうになるのかなあ。でもなぁ、3人とも同じように育ててるつもりなんだけどなぁ。でも心のどこかで長男のこと100%大丈夫だってどこか信じきってない自分ていうのもあって。まぁそれも私自身が自分に対して100%大丈夫だって信じきれてないから、子どものことも信じきれてないんだと思うんだけど…今回のことも、そこに原因があるのかな…」と、とりとめもなく母にこぼしました。
すると、じっと黙って聴いてくれた母は「いやー、あの3人はあなたに育てられて本当に幸せだと思うよ」と、ひとこと言ってくれました。
言葉にはうまく表せませんが、私の身体全体がほっと安心してあたたかくなった様に感じました。そして、「ああ、母親ってこういうもんなんだ。子どもはこういう感覚を味わうんだ。母親の存在ってすごいなぁ!」と思ったのです。
自分で自分がいやになる時、自分自身を受け止めてあげられない時でも、理屈抜きに味方でいてくれる、そんな存在が母親なんだと改めて感じました。そして今、長男こそ本当に孤独でしかも母親からの安心さえももらえていないんだ、自分は長男にこれができていないんだと胸が痛くなり、味方でいるよと今すぐに安心させてあげたいと思いました。
その気持ちが長男に伝わったのか、息子も心を開いてくれたみたいで彼の気持ちを話してくれました。
「学校で自分がしてしまったことについては弁解の余地もなく、本当に反省している。でも、自分たちが本当にやっていないことについても、絶対お前たちがやったんだろうと決めつけられて、すごく悔しかった。だから、今回、信頼というのが本当に大切だというのを痛感した。自分が信頼関係を崩さなかったら疑われることもなかった。いちど崩れてしまった信頼関係を取り戻すことは難しいけれども、少しずつでも信頼関係を再び築いていきたい。自分が好きなこの学校の自由の土台にある、すごく大切な根幹のようなものを今回自分の手で壊してしまって、そこをないがしろにして、自由という表面のおいしい部分だけを享受してしまった。信頼している大人も信じてくれている大人もいるし仲間もいるから、あの学校でやり直したい」とも話してくれました。
それを聞いて、この子は大丈夫だと思えるようになりました。
話を聞かせてくれた後、私の膝に頭を一瞬ゴンっとぶつけてきて、低い声で「お母、だいすきだぞ」と言ってきたので、私も低い声で「だいすきだぞ」と返しました。
親が子どもの存在を無条件に全肯定し、いつでも親は自分の味方だという、"揺るぎない安心"を子どもが感じられている限り、個々の行い、問題を注意したとしても、まわりに対して心を閉ざしてしまうこともなく、本人が問題に向き合う際のエールになる。
そして、この"揺るぎない安心"があれば、子どもは自分がしてしまった行いや失敗を大きな学びに変えていける力があるんだということを、今回、強く感じました。
親である私は、子どもの存在をどんな時でも全肯定し、"揺るぎない安心"をあたえられる存在になる!と心に誓いました。
楠野さん、タスキをお渡しします!
兵庫県/五十君朋子
2020年08月10日(月)
No.472
(日記)