ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

心が軽くなった秋


東京の本藤です。

お嬢さんたちの成長を噛みしめていらっしゃる中溝さんのお話に、ほっこりと温かい気持ちになりました。子どもの小さかった頃の思い出って本当に感慨深いですよね。

さて、いつの間にか紅葉の彩りが美しい季節になりました。我が家はここ数年、秋になると予期せぬことが起こりがちで緊張して過ごしてきたのですが、つい先日、今年の秋は大丈夫かもと安堵の感覚を味わいました。それは10日ほど前、「がんノート」(がん患者支援団体)主催のオンライン対談イベントに親子で出演させていただいた時のこと。親元を離れてシェアハウス暮らしを始めた長男をスクリーン越しに見て、もう大丈夫なんだな、そう思ったからです。

思い起こせば、ちょうど4年半前、私は乳がんの告知を受け、約1年近くの闘病を経験しました。
告知を受けた当初、私はどうなるのだろうか、子どもたちをどうしたらいいのだろうかと、底知れない不安感に襲われました。抗がん剤治療が始まってまもなく、当時中学3年生だった長男は、私を看病すると言い出して学校を休むことが多くなったのですが、私の不調と相まって 次第に 精神的に崩れてしまったのです。親の健康状態がこんなにも子どもに影響するのか…と私はいつしか罪悪感でいっぱいになりました。そして、つらいところを絶対見せない、早く元気になって後ろは振り向かない―と自分に誓って治療を続けました。
翌年の秋になると、私は身体も心も楽になったのを実感できるようになっていました。ところが、ふと長男の様子がおかしいことに気づきました。学校へと向かったのに登校していなかったり、体調や顔色が悪いことがあったり。ちょうど1年前のできごとがトラウマになって長男の前に立ちはだかったのです。再び動けなくなった姿を見て、私が乳がんになってしまったこと、治療中に十分にケアしてあげられなかったことを悔やんで自分を責めるしかありませんでした。
その後、長男は在籍していた高校を中退し、自分の人生を自分でかじ取りをしていく道を選ぶことになりました。私の闘病がきっかけで息子の人生が変わってしまったことに負い目に感じ、息子を全力で支えていかなければ―と覚悟しました。幸いにも徐々に心が回復していって、色々な活動に積極的に取り組みながら自分らしさを取り戻していく姿を見て、私も救われていきました。たくさんの大人に話を聴いてもらったり共感してもらうことで確実に変わっていく様子があり、感謝の気持ちが絶えませんでした。

昨年の春、長男は「がん患者の親を持つ、思春期・青年期の子どもたちをサポートする活動」を立ち上げました。ちょうど大学の進路を考え始めて自分の棚卸しワークをした時に、あのつらかった体験に真っ正面から向き合ったことでやってみたいことが見つかったのです。あの当時、同じ立場の人と一緒に共感したり話せる場があったのなら、身近に感じられる仲間がいてくれたらよかったのかもしれない、と話す姿に、やっぱりそうだったのか…と胸が痛みました。試行錯誤しつつも、様々な活動を通してたくさんの方々から応援してもらうことで成長していく姿は、別人のようにさえ感じました。

そうしたところへ、「がんノート」のオンライン対談イベントにお声がけいただきました。スクリーン越しの長男を見て、自分らしく自分の人生を歩き始めていることをあらためて知り嬉しさがこみ上げてきました。私自身もちょうど4年目検診を無事に迎えることができて喜びと感謝の気持ちでいっぱいになり、通院の帰りに歩いた金色一色のイチョウ並木道がこれまでと違ってとてもまぶしく映りました。

今振り返れば、私は闘病経験によって「生きる」ということに精いっぱい向き合って、子どもたちとどう関わっていくかを一生懸命考えることができたのでした。つらかった経験はいつの間にか私の尊い宝物になっていました。そして、困難な状況があって嘆いたり悲しんでも立ち止まるだけではなく、その経験を糧に前に進んでもいいんだよ、切り開いていっていいんだよと社会が教えてくれたこと、それが私たち親子にとってのすてきな贈り物だったと実感しています。
長男だけでなく私をも支えて下さっているたくさんの方々との出会いに感謝しつつ、これからも自分らしく等身大でいられるように、そして、子どもたちと一緒に毎日を大切に生きていこう、改めてそう思っています。

それでは、山田さんにタスキをお渡しします。

東京都/本藤克子 






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