ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

話すこと、書くこと


兵庫県の名和です。
自分を信じて自分に「GO」を出す頼もしい息子さん。息子さんの「好き」を見守るやまださんの視線があったればこそ!と思いました。

10月初頭のことです。
「胸部レントゲン撮影の結果のことでドクターから直接お話したいことがあるので来院ください」。健診を受けた病院から一本の電話がありました。不安を覚えた私は、電話口の女性に「何か良くないことですかねぇ? 緊急入院とか無いですよねぇ?」と遠回しに探りを入れました。「いえいえ、そんな。とにかくいらしてくださいね」と曖昧に応える女性の口調に更に不安が募りました。
胸騒ぎが止まらなくなった私は、ネット検索に首っ引きになっていました。様々な情報が入って来て、私の中にどんどん不安が募っていきました。堪らなくなって妹に話すと「健診で引っかかっても、7割ぐらいは問題ないらしいよ。毎年、健診を受けてるんだから、もし最悪でも超早期ですぐ治るわよ」と言ってもらえて、少し元気をチャージできました。

いよいよ病院へ行く日を迎えた私は、海を見てから行くことにしました。そこは海の近くの病院でした。10月だというのに夏のように暑い日でしたが、私は問題なく元気であることを確認するかのように、上着を腰に巻き付けて、うっすらと汗をかきながら結構な道のりを海まで歩きました。秋の海は何か忘れ物をしたかのように心もとなく、大きな波が水面を揺らしていました。しばらくしてから、深呼吸をして私は病院へと向かいました。
結局、肺のレントゲン写真に結節の陰影が写っているので精密検査を受けてほしいということで、大きな病院を紹介されました。まだその正体がわかったわけでもないのに「やっぱり…」とばかりにこわばる私に、ドクターが「癌である可能性が高いわけではありません。あまり心配しすぎないように」と一言。この言葉にちょっと救われた私は、病院を出ると急にお腹がすいてきました。ああ、今夜は娘の手料理!と思うと元気が出てきました。振り子のように、不安と安堵を行ったり来たり。私はげんきんな人間だな…と苦笑してしまいました。

紹介先の病院で、小さな陰影に関しては深刻にとらえる必要のない病名が付き少しホッとしたものの、ひとつだけ少し大きめの疑わしき陰影があるということで、徹底解明のため更に大きな病院へと紹介されました。
大病院のドクターは、CT画像を上から下までなぞるように丁寧に見せて「一番大きいこれね。べたっと塗りつぶしたように濃くて、肋膜を引っ張っているような形が疑わしいです。もし仮に癌だとしても、これひとつだけだし、そんなに急ぐことでもないです」と説明されました。

事態は明らかに、前の段階より深刻になっているはずなのに、私は前よりずっと落ち着いていました。なぜだろう?と考えると、二つのことが思い浮かびました。

ひとつは、「話す」こと。大病院に行くまでの1か月間、私は信頼のおける人たちにこの事実を話して受け止めてもらい、癒しや、励ましや共感のメッセージをいただきました。
自分で処理できない不安に出会うと、私はこうして「話す」ことで自分を整えようとします。話を聞いてもらうこと、受け止めてもらうことで、癒され、また勇気づけられ、不要な情報を手放して少しずつ頭と心を整理できます。それを一旦寝かせて均せて丸めて、また話すことを繰り返します。

そして、もうひとつは「書くこと」。
これから起こりうることが怖い…そんな弱虫な自分が情けない…と娘にこぼした時、娘が冷静に応えました。
「今までうまずたゆまず働いてきた身体にほころびが出るのは当たり前。そして、怖いと思う気持ちも当たり前。お母さん、ブログを書いてるのなら、心の変遷を観察して書いてみたら? お母さんの得意な観察記録!同じように不安を抱える誰かの役に立てるかもよ」と。私は「あぁ、それならできるかもしれない。うん、おもしろそうやね。」と応じました。得意を思い出したこと、そして、それが人の役に立つかもしれないこと。私の心に躍動感が戻った瞬間でした。

それからというもの、私はブログに書くために、自分の心を観察し始めました。もうひとりの自分が俯瞰して私を見ている感覚です。「あなたは何を怖れているの?」と私が私に問いかけました。
最初は「痛くて苦しいであろうこと」や「経済的な問題」という物理的な答えが出てきましたが、さらに向き合うと「自分の存在意義が無くなるのではないか(自分が要らない人間になるのではないか)」「つながりを失うのではないか(二度と会えなくなるのではないか)」ということこそが怖れの正体のように思えてきました。
すると、見えてきたものがありました。たとえ私が弱虫であっても、私がただここに居ることで喜んでくれる人たちがいる。心が通い合う人たちがいる。私には、大切なものは全て備わっているではないか…ということを思い出すと、感謝の涙が溢れました。

「話すこと」は人との対話、「書くこと」は自分との対話。私は「話すこと」と「書くこと」を通して、秋の海に感じた「忘れ物」を見つけたように思いました。すると、心もとなさがすーっとほどけて、心の波が収まっていきました。

これから出会う冬の海、春の海、そして夏の海。辛い時も、嬉しい時も、「話すこと」と「書くこと」は私の力になってくれることでしょう。
今回のブログで任期を終え、最後の襷を上村さんに繋ぎます。

兵庫県/名和めぐみ 






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