ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

被害者ポジションと解決者ポジション


あけましておめでとうございます。
五十君です。

來山さんの親としての覚悟、ずしんと我が身に響きました。
ついつい子供たちが心配になって口や手を出してしまいそうになりますが、彼らの力を信じて見守っていきたいと改めて思いました。

私は今回、被害者ポジションと解決者ポジションについて書きたいと思います。

今私は夫の転勤で12月から中国に来ているのですが、年末に1ヵ月にわたる隔離期間がようやく終わろうとした時、会社の業務上の事情により中国の他の都市に移動するよう指示がありました。3人の子供達が通う学校について半年かけて調べたり、オンラインで何度も面接やテストをしてもらい、子供達もようやく年始から登校できることを楽しみにしていた矢先でした。現地での住まいも探し、新しい生活に家族全員の気持ちが向かっていた最中の突然の変更に、頭も心も混乱し、正直心がぽきっと折れてしまいました。
また別の都市に移動となれば、子供の学校も選び直さなければならない、中3長男の受験もやり直し、さらに他都市から入ってきた人はコロナ予防で2週間学校へ通うことも許されない、家探しもゼロからやり直し、など戸惑いや不安が次々と溢れ出し、夜中に何度も目を覚ましてしまうほどでした。

そんな時、ハートフルの被害者意識の話がまさに自分にあてはまると思いました。それは、「自分を被害者としてみている限り、何も状況を変えることはできず、ただ嘆き続けることしかできない。どうやったら解決できるか、という視点に立って始めて状況を的確に分析し状況を変える行動をとることができる。でも人間そうは言ってもすぐに前向きになれない時もある。そんな時は、自分が今あえて被害者をやっていることを自覚して期間限定でやるなら構わない。」というものでした。授業でこの話を聞いた時とても興味深く強く印象に残っていたので、折に触れてこの話が頭に浮かんでいたのです。

私はまさに無意識で被害者ポジションにいたことに気付きました。でも、すぐにでも気持ちを切り換えてやるべき事がいっぱいな中、負の感情に縛られて固まって動き出せない自分から、何とかその感情を取り払い、次にむけて行動を起こさなきゃという焦りがありました。でも、すぐには解決者ポジションになれそうにもなかったので、まずはとことん期間限定の被害者ポジションを自覚しながらやってみることにしました。「私は今"期間限定"で被害者ポジションをさせて頂いてます」と意識すると、早く解決したいがばかりに頭だけが先走って「こんな事思っちゃいけない、言っちゃいけない」ということがなくなり、体や頭の中に噴き出すようにあるモヤモヤが安心して流れでてきました。そしてそれをひたすら紙に書き殴りました。数日間書いて書いて書きまくっているうちにもうそれ以上書くことができなくなり、出し尽くした感がありました。そして、書き殴った紙を見て、私の中に入っていたモヤモヤの全体像がわかりました。そしてそこから、自分が何を大切に思っていたかが見えてきました。早く子供達を学校に行かせてあげたい、新しい生活のスタートを自分たちが安心して暮らせる場所で早く切りたいというものでした。ただただ戸惑いと混乱の中にいた自分とは違い、全て吐き出した後は、大分俯瞰して今の状況と自分の望みを見れるようになりました。そうしているうちに気持ちが落ち着いてきて、望みを叶えるためにはどう行動すべきかということが考えられるようになりました。そして具体的にそのための行動を始めることができました。これが被害者ポジションから解決者ポジションに変わったということなんだと実感しました。

被害者ポジションに無意識でいた時は、モヤモヤの中にいて視界不良になり、その状況から出たいにも関わらず今状況を変えるためにどんな行動ができるか等考える余裕すらありませんでした。自分が被害者であることをどんどん正当化していくだけで、解決のための出口からますます遠ざかってしまっていました。
被害者ポジションにいたとしても、すぐに気持ちを切り換えて解決者ポジションをとり、状況を変える為の行動を速やかにとれるのが理想だとは思います。
でも、自分の感情がどうにもならない時は、期間限定で自覚して被害者ポジションをとることは、時に解決者ポジションに移行する為の必要なステップであると今回痛感しました。

解決者ポジションに立って視界が開けたら、これまであれ程感謝していたはずの、この街に来ることが決まっていたために出会えた素敵な方々や出来事に対して再び感謝の気持ちが湧き上がってきました。そして、短期間でもこの街に来れたことは、私たち家族にとってとても意味があるように感じました。

起こっている事象はただのひとつの事象に過ぎなくて、それが自分にとってどういう意味になるかは、自分のポジションをどこにとるかで全く変わってくると痛感しました。

この隔離期間中も子供達のケンカで、「どうして〜するの?」という被害者ポジション的な言葉がよく聞こえ、私の口ぐせなんだなぁと耳が痛かったです。「どうしたら解決できる?」という解決者ポジションで私が常に生きていれば、私の口ぐせも子供達の言葉もきっと変わるはず!

私にとって、今回の出来事は、「私は自分の人生を解決者ポジションで生きていく!」と改めて腹に落とし込むチャンスを頂いたのだと今は感じています。

新しい街でも、この解決者ポジション(+期間限定自覚ありの被害者ポジション)でいる限り、素敵な出会いや出来事がきっとあると思うので、これを新年の抱負にして、ワクワク過ごしていきたいと思います。

最後のタスキを楠野さんにお渡しします。

中国/五十君朋子 







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