ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

結果よりも大事にしたいもの


今回よりデビューします、秋岡です。
山本さんのお話を読んで、何年後かに自分の身に降りかかるであろう出来事を想像し、すでに胸がいっぱいになってしまいました。
今回はその胸いっぱいの相手になるであろう小学校6年生の上の息子についてお話します。

息子はこの冬、中学受験に挑んでいました。息子も私も最終学年になってもどちらかというと呑気に過ごしてきたのですが、年が明けるくらいからいよいよ緊張が高まりだしました。
ここまで向き合ってきた3年間の結果、特に志望校を目指して頑張ってきた1年間の時間と努力が、2月頭の試験日、時間でいうと数時間で結果として出てしまう・・。そう思うとグッと思いがこみ上がりつつ、同時に塾通いにまつわるこれまでの出来事がなぜか次々と蘇ってきました。今回は数年前にあった忘れもしない出来事を書いてみたいと思います。

息子が3年生の終わりから塾に通いだして半年ほど経った4年生の夏休み、初めての夏期講習が始まりました。私は仕事で家にいませんので、息子はバスに25分ほど乗って塾に通っていました。4年生の夏期講習の時は、朝は学校に行く時間とほぼ同じ頃に家を出て、午前中の授業を終えてまたバスで帰ってきて、家で遅めのお昼ご飯を食べる、そんな日々でした。
ある日の昼過ぎ、仕事中の私の携帯電話に息子からメールが届きます。「帰りのバスで気持ち悪くなって吐いちゃって、頑張って拭いたけどちょっと残っちゃった」と書かれたメール。息子は元々とても乗り物酔いしやすく、いざという時のために通塾のリュックサックにはビニール袋を入れていました。その日はとても暑い日だったので、暑さにもやられてしまったかなと心配しつつ、「家のどこに吐いちゃったんだろう。家に帰ったらすぐに拭ききらないとな。もしかしてバスの中かな。運転手さんと周りにいた人に迷惑かけちゃったかな。」と思いを巡らせながら、息子に電話しました。
「大丈夫? もう気分良くなった?どこに吐いちゃったの?」と聞くと、息子はこう答えました。
「バスを降りたところ。バス停の道路のところに吐いちゃたの。持ってたティッシュで一生懸命拭いて、ビニール袋に拭いたティッシュ入れて持って帰ってきたんだけど、ティッシュが足らなくてまだ少し道路に残っちゃって…」
この息子の言葉を聞いた時、なぜでしょう、私は感謝の気持ちでいっぱいになりました。大人でさえ汚すことに気を払わないことがある自宅の外、ましてや道路というあらゆる人や乗り物が行きかう場所。そこを汚してしまったという事実を9歳の子どもが真正面から受け止め、自分がやった事に持てるものを使って全力で対処したのです。

実はこの夏期講習がある数か月前まで、息子は週3回あった塾に毎回行くことができませんでした。学校が終わってからバスに乗って塾に行くのは、やはり面倒だったのでしょう。夕方に差し掛かる頃、仕事中の私に電話をかけてきて「体がだるくて今日は塾に行けないと思う」、ある日は「足が痛くて塾まで歩けない」などと訴え、1週間に1〜2日しか塾に行けないということが何週も続きました。私も夕方息子からの着信をみると「またか…」と、その電話を受ける度にイライラしていました。
しかし私のイライラは、塾費用がもったいないと感じている自分の気持ちから沸き起こっていることだとある日気づき、それに気づいてからはしばらく息子を見守ることにしました。欠席の電話を都度かける息子が塾から嘘をついていると怪しまれるかもしれないと、仕事帰りの道中、私から塾に「今はなかなか全日通えていませんが、いつかあの子は大丈夫になりますので、今は見守ってください」と、内心不安に思いながら電話をかけたこともあります。

しかし当時のイライラも不安も、この夏の日のバス酔い事件は見事に吹き飛ばしてくれました。目の前に起こっていることに自分で良し悪しを考え自分で行動する、その強さを息子は9歳にして持ち合わせていました。 この対応をしてくれた息子に「すくすくと健全に育ってくれてありがとう」と心から思い、塾に通って勉強ができるようになるより大事なのはこういうことなんだよな、と感激を噛み締めました。

私がハートフルコミュニケーションで自分なりの育児のあり方を学び模索し始めたのは、息子が4歳の時でした。そのなかで「自分で考え自分で行動する」ことの大事さを理解し、私なりに子どもが小さな頃から親が指示するのではなく自分で都度選択させるなど、自分で考えて判断できるような機会も作ってきたつもりですし、息子も自分の判断で行動してきたことがそれまでも何度かはありました(低学年の頃、何度も家の鍵を忘れて家に入れず困っていましたが、都度なんとか凌いでいました…)。
しかし、このバス酔い事件があった時、私のなかで教わった言葉とそれまでの自分なりの実践、そして息子が見せてくれた行動という結果が三位一体となって揺ぎ無く自分のものになったのです。同時に、「健全」という言葉がすっと出てきました。健全とは、このバス酔い事件を通じた私なりの言葉で表現すると、子どもだけでなく親としても社会のあらゆる環境の中で、自分の判断と行動に自信をもって存在していることだと思います。この時、息子だけでなく自分自身にも健全さを感じました。そして、沸き上がってきた自信をもって、息子の未来は大丈夫だ、そんな気にさえなったことを覚えています。
今回はこの辺りでバトンを桜井さんにお渡しします。

神奈川県/秋岡美奈子 






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