ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

記憶からのエール


東京の本藤です。
中溝さんの「自分で選ぶ」感覚についての話、深く頷きながら読ませていただきました。ご自身の気持ちと行動を客観的に振り返って気付くこと、それが熟成の過程なのですよね。私も見習いたいです。

さて、コロナ禍でのテレワークが始まって1年以上が経ちました。淡々と進められるオンライン会議での唯一の楽しみはアイスブレイクで話すミニトークだったりします。先日のお題「あなたの好きな場所は?」が私の中でヒットし、「コロナが明けたら、どこに行きたいかな…」と一人で考え始めました。
何か行動を起こしたい!と思っても、現実的には難しいこのご時世、でも、考えることだけは自由です。ふと気づくと、心に奥にある思い出がたくさん溢れ出てきました。それは、最初のアメリカ留学での記憶で、もう30年も前のことです。

当時の私は、地元の大学に通う大学3年生。卒業後の進路を考えて動き出した頃、ある出来事がきっかけとなって、「このままでいいんだろうか・・・。」と立ち止まってしまいました。自分の将来を漠然と考えながらも、「この道でいいの?後悔しない?」ともう一人の自分が問いかけます。というのも、いつかアメリカに留学したい…という夢があったからです。

私の家族は、父の留学時に2年だけ現地で暮らしたことがあり、私の記憶は少なくも、家族の会話は当時を懐かしむことが多くありました。そして、大学卒業したら(父のように)留学したらいい・・・それがいつも会話の終わりにありました。いつの間にか期待されて劣等感を感じてしまい、自分には無理…と封印してしまっていました。
これは後悔するだろうな…と悩み始めた私を見て、母は相当心配したと思います。でも、ここは大きな壁を乗り越えなければいけません。意を決して、「1年だけ休学して留学させてほしい、お父さんは納得いかないだろうけど、私は悔いが残らないようにしたい!」と父に直談判し、無我夢中で話しました。学業に厳しい父でしたが、私の話をじっくり聴いてくれ、最後に「行っておいで」と言ってくれた時、涙目になりながら、絶対にこの一年を無駄にはしないと誓いました。

それから半年後、親元を離れることも、一人での渡米も初めての私にとって、見知らぬ土地での生活は毎日がアドベンチャーでした。
銀行口座を開くのも一苦労、カフェテリアでの注文もドキドキ、講義を理解できるようになってもスピード感に焦ったり。でも、寮生やクラスメイト達にSOSを出せば助けてくれ、ハングリー精神たっぷりの中東からの留学生は自国での学習方法を教えてくれたり。友だちと誘い合って図書館で勉強し、週末は息抜きに食事に出かけたり。家族や地元の友達からの便りにも支えられつつ、寂しさを感じた時は空を見上げながら自分を奮い立たせることもありました。
それまで意識することのなかった自分の感情や内面と向き合ったり、一つ一つ自分で決断して前に進むことができたのは、挑戦する私を受け止めてくれる環境、多様な価値観を認め合いながら成長できる環境があったからこそだったと思います。
だだっ広い芝生のキャンパスと立派なヤシの木々、学生がにぎわう大学周辺の街並み、大学の大きな図書館で夜中まで勉強する大学生や院生たち。まとまった休みには、友だちと一緒にグランドキャニオンやインディアンリザベーションなどを旅して自然の偉大さや文化や歴史に触れることができました。たくさんの風景や感じた空気感の記憶が、その時の感情や考えていたことと相まって、すべて鮮明に思い出すことができます。

たくさんの経験をした留学は、まさに、「自分の行動に責任を持って動けるようになった原点」だったのではと思います。帰国の途につく時、また戻ってくる!と宣言したことはかつての私からは全く想像できなかったことです。
「勇気をもって自分のやりたいことに踏み出す。成功や失敗は関係ない、経験を通して見えてくるものは違ってくるのだから」。そう思えるようになったのは、私を信じて見守り、送り出してくれた両親のおかげであり、心置きなく自分で挑戦できた体験が自信という財産になったように思います。

私にとっての「好きな場所」は、もちろん、他にもたくさんあります。でも、今回なぜ当時の記憶が鮮明によみがえって私に語りかけてくるのか。それは、自分が迷ったり悩んだりすると必ず思い出し、「自分らしくいることが一番大切。大丈夫」と教えてくれているからだと思います。うまくいかなかったり、心折れることがあっても、自分の意志と行動で充実した日々を過ごせたことそのものが私の宝物になっているのです。

実はその後、あの場所を訪ねたことは一度もありません。 懐かしく行ってみたいと思うのですが、 記憶の中でいつしか尊い場所に変わっていて、心の故郷になっているからだと思います。
当時の経験は私の人生の中で偉大なるもので、その後も私にエールを送り続けてくれているように感じます。いつかまた訪ねてみたい、そう思うことが今の私の励みになっています。

それでは、山田さんにタスキを渡します。

東京都/本藤克子 




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