ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

親と対話すること


兵庫の羽木です。
田中さんのお話を読んで、母が認知症になった頃のことを思い出しました。
「今」を生きる親。私も母への寄り添い方を考えなおしてみたくなりました。
今回は田中さんに続いて、私も父のことについて書いてみたいと思います。

父は93歳。厳格でまじめな、家事など一切しない一昔前のお父さん。仕事でいつも忙しそうで、私は子どもの頃から父の体が心配で、父を労い、敬い、大切に思う気持ちがありました。それは、今でも残っている感覚です。
5年前、母が脳梗塞で倒れました。母は半身不随となり、認知症が急速に進んで施設に入りました。父の生活も、隣に住む妹一家の生活も一変しました。父は3か月で10キロ痩せ、昼夜逆転。母の訪問も目的ではありましたが、私は父のことが気がかりで、毎月新幹線に乗って帰省するようになりました。その頃から急に父の老いを感じるようになりました。それでも、まだ、この頃は自分のことは自分でできていたのです。歩く、食べる、トイレに行く、お風呂に入るなどの、超基本的な自分でやりたい自分のこと。
ところが、昨年末、転倒したのがきっかけで、父の介護度が急に上がりました。人に頼らず、何でも自分でやりたい父にとって受け入れられない事態になりました。
それでも、何とか自分でやろうとして、かえって妹の仕事が増えてしまう。公共のサービスも拒否する。それまで、一切父を責めたり怒ったりしないで、尊厳を守ることを大切に接してきましたが、「もう、優しく接するだけではだめなんだろうか。やり方を変えなくては、妹が疲弊してしまうし、父も快適に過ごせない。はっきり言わなくてはいけないのかな」と悩みました。
それはつまり、「お父さん、もう自分でできないよね。お願いだからサポートを受けて」ということで、父が傷つくのではないかと思い、なかなか言えないでいたのです。

そんなときに、ハートフルコミュニケーションの大先輩で、お母さまを103歳まで介護された飯田さんに「対話と会話」についての資料をいただきました。そこには、対話とは「心と心の交流」であると書かれていました。
すぐには父のことにつながりませんでした。私がそれまで漠然と考えていた対話の意味は、「1対1で深く話し、信頼関係の中でお互いを理解すること」で「心の交流」とニュアンスの近いものでした。それなら今までもやっているのでは?と思いました。
でも、「何か変えなければ。それは父と話すことに関係ある」と感じていたからでしょうか、気になって、自分でも調べてみました。そのなかで、飯田さんからお聞きしたお話と合わせて自分なりに解釈したことは、「会話は2人または複数で話すこと。内容は浅く広くという感じ」「対話は1対1でするもので、相手の価値観や考え方、とらえ方を理解するもの。内容は狭く深くという感じ」。特にああ、これ!と思ったのはこの先です。議論を戦わせるのではなく、「相手がなぜ、そう思うか、そうしたいかの基になっている価値観やとらえ方をを理解するということ」でした。
ふと、母の入所に伴い、ドクターやサポートしてくださる方と家族が集められ、延命治療や終末医療に関する家族の意思を聞かれた時のことを思い出しました。父は即答したんです。はっきり考えを持っているんだと驚きました。昨年、父は心臓を悪くし、手術の提案を受けましたが、家族の意見は聞かず断りました。
父は田舎の開業医でした。往診もよく行って、家族など背景もよく知った中で、患者さんの最期を看取ることもたくさんしてきています。そんな中で、死生観みたいなものが、父の中にはっきりあるのかもしれないと感じました。

今まで父とそういうことを話したことがありませんでした。いや、「死」という言葉に触れるのが嫌で、タブーなこととして避けてきたのです。聞きにくい。
でも、父がはっきりと考えをもっているのなら聴いてみたい。ここから、どう生きたいのか。これから、もっと介護が必要になってくるとどうしたいのか。それだけではなくて、その基になっている父の考え方や、終末医療のとらえ方。
対話することができたとしても、すぐに今の頑固な父の言動が解決するわけではないかもしれません。でも、「もうできないよね、サポートを受け入れて」と、もうあきらめなさいと宣言するような辛いことを言わなければと思っていたことが、対話をすることで、「どう生きるか」を一緒に考えていける前向きなものに変わる気がします。また、父の思いを理解して、尊重することを伝え
られれば、安心して任せてくれる気持ちが生まれるかもしれない。そして、なにより、父自身が、考えていることを自分で言葉にすることで、ここからの時間をどう生きたいかを意識して選んでいけるように思えました。
緊急事態宣言が出て思うように実家に帰れませんが、父と「対話」すること。是非、叶えていきたいです。

では、今回はこのへんで、タスキを山本さんに渡したいと思います。

兵庫県/羽木絵里 





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