ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

どんなときもマザー・テレサ


千葉のなかみぞです。
このコロナ禍だからこそ、「心の拠り所」となる物や人の存在がより鮮明になったような気がします。「大きな愛で包んであげたい〜♪」とメガビッグな大下さんが腕をいっぱいに広げている姿を想像しちゃいました。

先日、Y子の眼科健診が終わり外に出たところ、駐輪場で親子を見かけました。
「泣いて大きな声を出さないでって言ったでしょ!」と怒る母親と泣き止まない3歳くらいの男の子。この場面だけを切り取ると、とても厳しい母親に見えますが、週末に朝早くから幼児を連れ出すのは骨の折れることです。お母さん、頑張ってるな、と応援したい気持ちと、その剣幕たるや凄まじく、幼い男の子に助け船を出したい気持ちにもなりました。
けれど、どう話かけて良いやら。自転車を出すまでの数秒で答えは出ず、「お母さん、朝早くからお疲れさま。あまり頑張りすぎないで。」と心の中でつぶやくことしかできませんでした。

こういう場面でいちばん困っているのは子どもではなく、親の方だと思います。
私も、公共の場で途方に暮れることがよくありました。うちの双子があの男の子と同じ歳のころ、バス停の止まり木(ベンチではなく寄りかかるもの)で、鉄棒をし始めました。子ザル2匹がぶら下がる度に、止まり木に振動が伝わります。初めは穏やかな口調で注意していましたが何度注意しても止めず、まわりに迷惑がかからない程度の声の大きさ(と自分では思っている)までヒートアップ…結局、隣りの止まり木にいた初老の女性の雷が落ちました。
「いい加減にしなさい!!! あなたたち、さっきからお母さんが注意しているじゃないの。お母さんがかわいそうよ!」
このとき、この女性を不快な気分にさせてしまったと反省しつつ、まわりの反応も気になっていたところ、見ず知らずの人に味方になってもらえたようで心強く思いました。

駐輪場の親子に何か良いアプローチはなかったのか。短い親子の会話から、親の思い込みと子どもの真意の行き違いがあるのではと想像が膨らみ、この先も同じ場面を繰り返して親も子も傷ついてしまうのではとモヤモヤが残りました。
余計なお世話と思いつつ、もしここにあのお兄さん達がいたら、どんな声かけをしただろう。ふと、数年前の出来事を思い出しました。

あれは、残業して帰りの電車に飛び乗ったときのことです。車両に漂う不穏な空気…20代後半の酔っ払った男性が、自分より小柄なアジア系の若い女性にからんでいるところでした。
電車が揺れるたびにぶつかり、「ごめんなさいねえ」と言っては繰り返す。女性の隣りにいた女友達が、「アナタ、やめなさいよ。嫌がっているでしょ。日本人のくせにそんなことして恥ずかしくないの?」と詰めより、一触即発。どうにかしなければ。でも逆ギレされたらどうしようと考えあぐねていると、私の横にいた男性が、「お兄さん、つかまらないと危ないよ」と声をかけると、向かいにいたもう一人の男性が、すかさず、「ここにつかまって」とつり革をすすめながら、その酔っ払いと若い女性の間に入ってガードしてくれたのです。
なんと見事な連携プレー。なるほど、注意するのではなく、ふらついていることを心配する声かけ。さすがに自分を気遣ってくれた相手には逆ギレはしません。それに、よく考えると、酔っ払うこと自体は悪いことではなく、酔っ払って人に迷惑をかけることがいけない。それなら、原因になっている「ふらつき」を解消すればいい。公衆の面前でガツンと注意して、酔っ払いの体面まで傷つける必要はありません。酔いながらも一応謝っていたことを認めてあげたのではないかと思いました。

子ザル事件の女性も、双子のしつけが行き届かない私を責めずに、どうにかしようとしていた私の努力を認めてくれました。そのおかげで私は少し気持ちに余裕が出てきて、クールダウンできたように思います。
まずは、相手が最善を尽くそうとしていることを認め、寄り添うこと。そうすれば、相手に別の選択肢を考える余裕ができるかもしれません。
もし、タイムスリップして駐輪場の親子に声をかけるとしたら、男の子には、「長い時間、待ててえらかったね。もうお昼だもん、お腹すいちゃったよね」と、母親には、「朝早くから大変でしたね。午前中潰れてしまいましたね」と、とにかく労いたいと思いました。

さて、この度、中一の娘たちは初めて期末テストを受けました。
テスト期間中は息抜きが多く、試験前日にどちらも英語の教科書を持ち帰らず、寝る前に双子喧嘩も小一時間。二人が最善を尽くした形跡を拾い集め、クソババアを返上できるよう励みたいと思います。
それでは東京の本藤さん、お願いいたします。

千葉県/中溝浩子  





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