ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

行っておいで


群馬の山本です。
私もやっていました! 羽木さんと一緒です。しかも私の場合、自分はものすごくのんびりで段取りも悪いのに、子どもには早く早くと急かしてばかりいました。子育てをするようになって、自分の気の短さに気付かされ、苦笑したことを思い出しました。

さて、今回は泣き笑い日記に初登場の次男です。
なぜ初かというと、本人に書かないでほしいと言われたからです。(長男や夫には確認していませんが・・)次男は「わかったように書かれるのが嫌だ」そうです。
「お母さんがどう感じたかを書くだけだよ」と話しましたが、その拒否反応に、書いてはいけないような気持ちになり、今に至ります。
でも、今回は彼には内緒で書いておきたいと思います。

彼は2304グラムで生まれ、数日間、保育器に入りました。少し小さいだけでしたが、ミルクを飲む力も弱く、顔つきも優しくて色白、消えてしまいそうな感じでした。
そんな彼も大きくなるにつれ、元気いっぱいになりました。体は小さかったですが、私の印象としては「とにかくいつもふざけている」でした。
ハートフルコミュニケーションに出会う前は、どうにかきちんとさせようとしていましたが、彼の明るさに励まされることも多く、周りの人にも愛される存在でした。

小学生になってもふざけてばかりいる彼でしたが、時々「わぁぁー」と泣き出すことがありました。詳しい内容は思い出せないのですが、それはいつも忘れた頃にやってきます。
「わぁぁー」
私は泣き出して初めて、彼に思いがあったことに気付きます。「どうせ○○でしょ」というような言い方をした時に彼は泣いたと記憶しています。そうなって初めて私は自分を反省するのでした。
考えているのなら言ってくれたら良いのにと思いましたが、こう思っているからこうするよなどという話は一度も聞いたことがありませんでした。
小学校高学年の頃に映画がきっかけで、外国に興味を持ち始めました。中学生になると留学してみたいと話すこともありました。(親にとって真面目な)やりたいことを言うことは珍しいので「いいね。いいね」と応援していました。そしていつしか海外へ行くものとして、彼に接してきました。ただの夢で終わらないようにという気持ちが何となく働いたからだと思います。

そして彼は今、大学一年生です。
つい一か月前から急に留学を目指して動き出しています。
正直な気持ちは、やはりしり込みするというか、心配が始めに襲ってきます。
「本当に行ってしまう」
行くものとして接してきて、貯金も始めて、覚悟もずいぶん貯めてきたつもりでしたが、やはり心配が先に来るのだなとしみじみ感じています。でも、心配の言葉はグッと隠して「行っておいで」と言える自分がいて、それは親としての成長なのかなと思っています。

彼の留学への気持ちはコロナの影響が少なからずあるように思います。なかなか友達ができなかったことで大学生活を楽しめていないため、現状を変えたいという思いが加速したからです。また、彼が言うには大学入学がゴールになっていて、深い話のできる人がいないというのです。ふざけてばかりいる次男からこんな話を聞く時が来るなんて。
でも、話を聞いていると、次男の思い込みによって、壁を作っているから、なかなか深い話をする機会もなく、出会えないだけのように思いました。だから、彼から連絡があった時にはオンラインでしたが、根気よく彼の話を聞きました。哲学的な話や政治の話、日本の教育の話、私の悩みも聞いてもらったりして、ある時は深夜2時まで話していたこともありました。そして、彼の考えていること、彼なりに努力したこともわかりました。

次男が一人暮らしを始めても毎日は連絡しませんでした。でも、もっと友達のように頻繁に連絡を取り、愚痴を言い合い、一緒に発散するようなことも出来たと思います。もし、彼からの連絡を待つだけでなく、嫌がられてもこちらから連絡を取り、現状の不満を共有し、紛らわせる何かを提供し、楽しいやり取りでもしていたら、留学はまだ先になったかもしれなし、行かなかったかもしれません。
でも、私はハートフルコミュニケーションで子どもの人生と親の人生は違う、別だということを知り、自分の幸せに責任を持つことも学んできました。だから、やっぱり必要以上に彼の頭や心の中に入って、代わりに不満や寂しさをごまかしたり、減らしたりもしたくありません。

とはいえ今、彼を止めようと思えば、涙もすぐに出ますし、寂しい、心配だと訴える言葉もあふれてきます。そういう気持ちがないわけではありません。ただ、大きな動揺はせずに済んでいます。そして、選択した言葉は「行っておいで」の一言でした。
これはずっとずっと準備していた言葉でもあり、彼が決めたことなら大丈夫という信頼から出た言葉でもあります。この「信頼」には、いわゆる成功と思える結果も失敗と言える結果もすべて含まれています。外国での生活を楽しむかもしれないし、すぐに挫折して帰って来てしまうかもしれません。どんな結果になろうと、何かを学び、感じ、人生に生かすことができると信じています。
言葉にするとずいぶん大げさな感じになりましたが、どんな彼も受け入れ、応援しようと親として覚悟しました。
だから私も、彼にすがらず、自分の足で(必死に)立っています。それは彼の幸せのためでもありますが、私の人生を大切にすることでもあります。

留学のエージェントとの面談へ行った帰りの電車で、留学が急に現実に迫ってきたように感じ、改めて思いが巡りました。
寂しい。心配。
寂しい。心配。
だけど・・・
そして、勇気を出して夫に聞いてみました。
私「私たちがこうなるように育ててきたんだよね」
夫「そうだよ。やりたいことがあって、それをやってみたいと思っているんだから、良いことだよ」

コロナの状況もあり、行けるかどうかもわかりません。または行けてもすぐに状況が変わってしまうこともあるかもしれません。とにかく彼は外国へ渡り、学び、自分の力を試すことになります。試したいのだと思います。
私の寂しい、心配の気持ちは自分で引き受けて、彼を信じて応援しよう。
彼は一人暮らしができるほど大きくなりました。もちろん失敗もたくさんしています。でもそんな時は、相談したり、スマホで検索したり、自分の頭で考えつくことで対応してみたり、さらに失敗して笑い話として話してくれたり・・・親の私の出番はどんどん減って無くなってきたと感じます。だから、何だか必要のない人になっていくようで、それも寂しさの原因の一つのようです。

彼が外国へ行ったら、風邪で寝込んでも行ってあげられないし、たとえケガをしたと聞いても、実際に飛んでいくのはなかなか難しいことです。
でも、何もできないわけではありません。日本から無事を祈ること、どうにかなるし、どうにかすると信じること、彼を丸ごと受け入れ、応援すること・・・これらは一生できることだなと思いました。
親の私にできる唯一のことになってしまったと寂しく思うのではなく、親だからずっとできる特権があった〜♪と反芻しながら日々を過ごします。

次のタスキは桜井さんへつなぎます。

群馬県/山本みのり 





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