ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

自分の畑を耕そう


千葉のなかみぞです。

「今の自分が頑張れることで生き生きする」。森屋さんの言葉に背中を押されました。親である前に一人の人間としてどうありたいか、考えてしまいました。

よく、「他人は変えられない、自分が変わらなきゃ」と言いますが、何だか今までの自分を全否定されているような、自分の足りない部分を責められているように感じます。いつも私なりに最善を尽くしてきたのに、これ以上どうすりゃいいのよと。
手を尽くしたつもりでも袋小路に入ってしまい、どうにかしなければと答えを探す。本を読み、講座で学ぶ度に、「ここも足りない、あそこも足りなかった」と反省するのだけど、どうも「足りないところを埋める」という意識でいると、いつまで経っても満ち足りないのではないかと最近思うようになりました。

こんなはずはない、もっと、もっと。子どもの頃、テストで98点取っても母には褒めてもらえなかったからかな? 他人のせいにしたくなりますが、期待されることは悪いことではないし、大人になって、仕事でも常に改善すべきところがないか目配りしてきたようにも思います。
後になって
エニアグラムを学んだとき、私は、不安を感じてリカバリーしていく気質だとわかりました。

不安を解消するために、外へと答えを探してもキリがない。実はもう満たされていて、あとは自分の気の持ちようかもしれないなあ。コーチングでは、「答えはその人の中にある」と言いますが、灯台下暗し。周り回ってここにあった!と狐の嫁入りのような、そんな解釈をしています。
ハートフルコミュニケーションに出逢って、今のやり方がうまくいかないなら、他の方法を考えて前進することを学びました。やり方を変えてみるだけで、「私」は変わる必要はないのです。今までの頑張りに新しい視点を加える、これなら素直に受け入れられます。「変化」ではなく「進化」、「原因を追求する」ではなく「ルーツをたどる」というふうに言葉を変換できれば、自分を責めることなく考えられそうです。今年は言葉選びにも気を付けてみようかな。

双子が思春期を迎え、子育てが冬の時期に入ったように感じます。良かれと思って何を言ってもクソババアと呼ばれる。双子喧嘩が始まると、どこで覚えたのか、我が家の家風に合わない言葉で罵り合い、私に浴びせることもあります。部活のスケジュールも素直に知らせない。食事ができたと呼んでもすぐに食卓につかない…これが先輩方の言っておられた思春期というものか。
同じ土俵にのってはいけないとわかっていても、あれだけ苦労して生活習慣をつけてきたのに、残業しても栄養バランスのとれた食事を用意しているのにと、どうしようもない感情が沸いてきてしまいます。今までの私なら、こんな風に思ってしまうのは良くない、私は未熟な母親だ。と自分を責めていたかもしれません。が、今年は違います。

クソババアと言われて、ムカつくものはムカつくのです。双子に感じる怒りの感情を寛大な心で無きものにしようとしても収められないのだから、善悪で判断したり自分を責めたりしないでそのまま受け止めることにしました。嫌な感情と捉えるのではなくて、そのルーツを丹念にたどっていくのです。
すると、双子に対してムカついているというよりは、これまでの苦労が水の泡、費やしてきた時間全てが無駄、という残念で悔しい気持ちに行き当たりました。これは、私がこれまで子ども優先で過ごしてきた証。よくワンオペで頑張ってきたよねと、自分を労いたくなりました。
そして、少し気分が落ち着いたところで、でもそれって本当?全て無駄になってる?とさらに問いかけると、いや、全てが無駄というのは言い過ぎかも。双子がいずれ社会に出たとき、やっぱりそうだよねと思う瞬間が来るだろう。それに、寝不足で授業中に居眠りして困るのは双子。冷めた料理を食べるのも双子。私が困るわけではありません。
必要最低限の環境を整えたら、クソババアの営業時間はおしまい。明朝おにぎり持って練習試合と言われても、しゃけの買い置きはないので悪しからず。もう何でもやってあげる完璧な母親になる必要はないんじゃない? 子育てを引き算してみようよと心の声が聞こえてきました。

その感情はどこからくるのか。ルーツをたどって、自分の畑を耕そう。心の奥底にある本当の感情を掘り起こすことで、思い込みで凝り固まってしまった気持ちが柔らかくなる。やらかした残念な出来事も土に還っていくような気がします。
他人から受けた嫌な刺激も、ひと鍬ひと鍬耕そう。そのモヤモヤやザワザワが、思いがけない気持ちを掘り当てるかもしれません。そしてそのうち、自分という大地にしっかりと根を張って、太い幹となり、大きな木陰を作っていく。
オトナになっても伸びしろがあるなんて素晴らしい。そうだ、私は幸せになるために生まれてきたのだから(両親だって私の幸せを願っている。子の幸せを思う親心は永遠ですね)。

それでは、最後のバトンを本藤さんにお渡しします。

千葉県/中溝浩子 




2022年01月17日(月) No.547 (日記)

No. PASS