ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

時間を越えて、追憶とこれから


東京の本藤です。
中溝さんの「私は幸せになるために生まれてきたのだから。」という言葉にジーンと来ました。まさに私も自分のあり方をみつめ、自分の人生を生きたいと思っています。

先日、私宛てに一通の手紙が届きました。馴染みのある字体、見覚えのある挿絵の封筒。あぁ!これって自分宛てに書いたんだった!と懐かしくなりながらも、複雑な思いが湧き出てきました。

この手紙を書いたのはちょうど5年前のこと、どんな心情で何を書いただろうか…。記憶を辿ってもよく思い出せません。ただ明らかなのは、当時は自分にとって辛い時期だったということ。その記憶の扉を開けるのには勇気が要り、すぐに開けることができずに1週間が過ぎてしまいました。

当時の私は乳がんの闘病中。手術が終わって安心したのもつかの間、病理検査の結果を説明する主治医は「再発リスク」や「生存率」という言葉を頻繁に使い、そして「次の治療を選択するかどうかはあなたが決めていいから」との一言。その治療をしなければどうなるのだろうか…という不安に苛まれ、目に映るものが灰色になっていくような重い感覚を味わいました。

それでも自分の決断で動くしかないーと治療を受ける決心をした頃、次男の進学先探しのために出かけることになりました。
その時、初めて訪れた街でたまたま立ち寄ったのが「坂の上の雲のミュージアム」です。松山出身の主人公たちが夢や希望を抱いて『坂の上の雲』を目指したことが数多く展示されていたのですが、展示の最後には、「あなたは、未来に何を思い描き、何を目指しますか?」というシンプルな問いが書かれたパネルがありました。また、あなたの想いを未来のあなたやあなたの大切な人に届けよう—という館内企画「ミュージアムレター」があることを知り、私も手紙を書いてみようかな…と少し前向きに感じられ気持ちが明るくなったのです。その場ですぐに手紙を書くことはできませんでしたが、一旦持ち帰ってみることにして、オリジナルの便箋を購入しました。

その後東京に戻ってまもなくして治療が始まりました。
子育てと仕事を続けながらの治療は想像以上に辛く、アピアランスや体調の変化に自分が一番動揺していましたが、感受性の高い息子たちを前に、泣きたくても泣けない無我夢中の日々が続きました。
自分宛てへの手紙はしばらく手つかずのままでしたが、治療開始から2ヶ月の頃、家族がミュージアムに寄ることになって急いで書きました。
それから半年以上が経って治療が完了した時、私は安堵の気持ちがまさって、辛かった過去を振り返らない、これからは前進のみ!と自分に言い聞かせていました。生きることの意味を感じながら過ごしてきた闘病生活はかけがえのない時間でしたが、それ以上に悲しみや辛さから離れて封印したいと思ったものです。

そして、5年が経ちました。
おかげさまで健康に元気に過ごすことができているのは本当に周りの人たちのおかげであり、当たり前でないことだと実感しています。でも、時折、忙しくなりすぎたり目の前に大きな壁が立ちはだかると、色々な葛藤や想いに翻弄されて自分らしさを失うこともしばしば。そんな渦中にいる今だったからこそ、この手紙が届いた意味があるのかもしれない、そう思って封を開けました。

温かみのある素敵な挿絵の2枚の便箋には、どん底にいたはずなのに、冷静な文面で今の私を励ましてくれるかのような温かさが溢れていました。
「自分のためにも、家族のためにも、そして、周りの人たちのためにも焦らず、“今”を楽しめる人間になれたらーと思っています。この5年間どれだけ成長したか―、今の私からすると楽しみです」。
精一杯、その時を向き合っていた自分がいたこと、そして、今の自分をも励ましてくれていることに心が震えました。

最近の自分は、当時の私に対して失礼なことに、「当時は頑張らなければいけなかったから頑張ってただけ、当たり前の試練だったんだから」と、簡単に片付けようとしていました。
そうじゃないんだよね、当たり前ということは何ひとつない、その時その時、誠実に一生懸命生きてきたからこその愛おしさがある。だからこそ先に進めるんだよ。そんな深いメッセージをもらったようで涙が溢れました。
生きているのが奇跡、そう思って、感謝して生きる、その想いから見えてくる景色は違ってくると感じます。

5年前の私からの手紙は、「辛かったことを忘れずに、人生を楽しんで生きてほしい。」という文章で締めくくられていました。「喜びだけでなく苦しみや辛いことも愛おしく感じてほしい、あなたらしく笑顔でいられるようにー」というエールをもらったような気がしています。
生かされていることに感謝して、自分らしく精一杯生きていきたい、そう思いながら、最後のタスキを山田さんに託します。

これまで読んでくださった皆さま、どうもありがとうございました。またどこかでお目にかかります。

東京都/本藤克子  





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